鹽竈神社2018年11月04日 15時12分26秒


胎児よ
胎児よ
何故踊る
母親の心がわかって
おそろしいのか
(「ドグラ・マグラ」夢野久作)

分娩後に排出される胎盤や卵膜などは
胞衣エナと呼ばれて昔は信仰の対象であった
豊臣秀頼や徳川家康など有名人の胞衣塚が
信仰対象として今でも残っている
胞衣壺に収め土中に埋葬するのは
実に縄文時代からの慣習であったらしい

現代では
胞衣だけでなく妊娠12週以前の死胎と
手術に使われた綿やガーゼなどを
一括りとし産汚物という呼び名で
各自治体が処分方法を条例で定めている
東京都では明治30年から
胞衣及び産穢物取扱業取締条例により
その処分方法が規定されている

その東京都から許可を得た処分業者が
荒川区町屋の辺りに2社ある
敷地内に鹽竈神社を配する
大正胞衣社がその一つ
なぜ鹽竈神社がそこにあるのかは謎だが
東京中からやたらと運ばれてくる
妊娠中絶した死胎の多さに
祭神の塩土老翁シオツチノオジに
説教してもらおうという意図が
あるのかどうかはわからない

道路の向こうには下水処理場
線路の向こうには火葬場
どうやらこの辺は
どうしようもなく纏わり付いてくるが
見たくもないし遠ざけたいものが
最後に集まってくる場所のようだ

明治初期この辺りには
皮革工場がつくられ
屠殺場や油脂工場が集中し
滋賀県をはじめとする各地の部落から
住民が移り住んできたのだという

明治政府による身分制度の廃止で
それまである意味特権的に皮革業を営んできた
穢多と呼ばれた人達は
これからは自立してビジネスに勤しめ
ということになったわけで
歴史的な部落である浅草新町はじめ
全国の部落では
失職したり自ら町を出たりする人が
たくさんいたのかもしれない

少し歩くと
部落解放同盟荒川支部の建物がある
歴史的には被差別部落でもなんでもない土地
の筈だがどういうことだろう
歴史的な古地図の
穢多村とか非人溜の記載を消すように
現在の地図を書き換えようというのかしら

この土地は古代から
良質な土が流れ込み溜まる所だったようで
真土やと呼ばれたらしい
それが町屋へと転化したそうだ
大阪にある松屋町も
大阪の人がまっちゃまちと呼ぶように
真土やが語源だ
土を材料に人形が作られたそうな
松屋町は人形問屋の町だし
町屋でも雛人形製作所を1件見つけたが
決して無関係ではないと思う

鹽竈神社

鹽竈神社

鹽竈神社

鹽竈神社
東京都荒川区荒川8-18-6