赤城神社2014年02月11日 21時25分07秒

時は鎌倉時代
赤城山の麓から牛込に移住した
大胡彦太郎重治によって
赤城神社は創建されたとある

その後
太田道灌によって赤城神社は牛込台に遷座

時代は下り
相模の戦国大名
後北条第三代当主である氏康の招きで
赤城山麓より大胡氏がこの牛込の地に移住
赤城神社は現在地に移された

同じ大胡氏の流れを汲む者が既に
いたであろうこの地を選んだのはわかるが
そもそもの大胡彦田郎重治が何故ここに来たのか
よくわからない
牧場経営で一発当てようとしたのか
神社を伴ってきた程だから一家総ぐるみで
密命でも与えられてたのかもしれない

大胡氏の祖先は藤原秀郷である
藤原秀郷といえば
あの平将門の顳顬を射抜いた男
将門討伐の最大の功労者である

関東には平将門に所縁を持つ神社が多い一方で
藤原秀郷に所縁のあるものも多い
大胡彦田郎重治がアンチ将門を標榜する
そんな勢力だったという想像はあるいは妄想か

重治以前に建立されたアンチ将門神社が
この近辺に幾つかある
水稲荷神社と穴八幡宮そして鎧神社
鎧神社は将門を祀ってはいるが
藤原秀郷が鎧を埋めたという伝説もある

この3点は直線上に並ぶ
(水稲荷は昭和38年に現在地に遷座)
重治が建てた当初の赤城神社のあった場所は
元赤城神社として現在も残っている
そして元赤城神社はきれいにこのラインに乗る
何かを守るため
何かから守るため
赤城神社の分霊を背負って
彼はこの地にやって来たのではなかったか
藤原秀郷ラインによる防衛線の強化を
図ったのではなかったか


何から何を守ろうとしていたのかはわからないが
太田道灌はその意味を知り
自身のプロジェクトの主旨とは逸脱するため
赤城神社をラインから外したのではなかろうか

やはり東京の街は今でも
平将門の怨念と太田道灌の夢の上に成り立っている
なんてのは
いかがなもんすかね



赤城神社
東京都新宿区赤城元町1-10


元赤城神社
東京都新宿区早稲田鶴巻町568