東小岩天祖神社 ― 2020年04月12日 17時44分29秒
ある日突然あいつらはやって来たんだ
皆で平和に暮らしていたのに
今までの生活は全て奪われた
これからはもう
あの頃のようにはいかない
東京都と千葉県を分かつ江戸川
その河畔近くに小ぶりの神社がある
ひっそりとした佇まい
境内はきっと時間が止まっているんだろう
天祖神社というのは
それこそそこかしこにある
伊勢神宮の神
即ち天照大神を祀っている神社だ
現代人の頭では
きっと昔の人は
なかなか伊勢神宮には参拝に行けないもんで
近場で済ませるコンビニ的なものを
作ったのだろうくらいに思ってしまうが
いや実際はそんなことも思わんのが大半だろうが
平安時代中期から鎌倉時代にかけて
有力な神社が御厨ミクリヤという
いわゆる荘園の所有を
全国各地に拡大していた
有力な神社というのは
伊勢神宮や賀茂神社など
もうこの頃から一大勢力だったのだね
そしてこの江戸川の河畔にも
葛西御厨という
大きな御厨があったらしい
きっとある日ズカズカと土足で入って来て
今日からここは神の領域だとかなんとか言って
元から暮らしていた人達を困らせたに違いない
地域の特産品を治めることで
神税が免除されたということだ
なんだ神税って
この東小岩天祖神社は
弘治元年(1555年)の創建だという
時は室町時代で信長なんかが暴れ出す
寸前くらいのタイミング
残ってる記録によれば
1553年1月
伊勢外宮庁が葛西御厨三十三郷の
神税上分の納入を命ずる
とある
そんなもん出来るかいと
言うことを聞かない人達を
統治する目的で
天照大神をここに祀った
というのが本音のところではなかろうか
実際各地の天祖神社や神明社は
御厨や神田があったところに
置かれていたようだ
さらに
境内には水神宮と彫られた
小さな祠がある
川の氾濫を治めるために
元は水神を祀ってた場所ではないか
水神は罔象女神ミツハノメノカミ
という神様で
実はあのニギハヤヒと同一という説がある
その上にアマテラスを乗っけた
そんな支配の構造が少し垣間見えるだろう
権力者やウイルスなど
強い力を持つ輩が
突然に
私たちの生活を掻き乱す
私たちにしてみれば
どちらもテロリストと一緒だ
そしてそれにじっと
耐えるしかない
耐えたその先にはきっと
また同じように笑える日が来ると信じて
「ここで踏ん張ったらきっといつかそのうち
面白いことがあるような気がするからさ
元気はなくさんさ
お前も
元気はなくすなよ」
(SION「元気はなくすなよ」)
東小岩天祖神社
東京都江戸川区東小岩1-32-3
石浜神社 ― 2018年02月04日 00時01分12秒
崩れ落ちた屋根と壁に
血のような夕日が刺す
泥濘の中に横たわる男
死体から衣服を剥ぎ取る非人達
城は落ちた
怨霊に怯え続けた聖武天皇は
やたらと都を遷したり
大仏を造らせたりと
チキン野郎の気紛れな思いつきに
無数の人々が翻弄されていく
さらに聖武天皇は勅願といって
各地に国分寺や神明宮を建てさせたりもした
隅田川の西岸に建つ石浜神社も
そんな神明宮の一つだ
この周辺に目をやると
南千住から北千住にかけて
いくつもスサノオを祀る神社がある
恐らく出雲系の人々が古くから居住し
豪族化していたのだろう
そしてそんな土地故に
神明宮建立の地に
選ばれたのだと考えられる
ひょっとすると古墳でもあって
聖地であったのかもしれない
根拠はないが
征服者の常套であろう
長い長い時間が経ち
日本中にきな臭さが漂い始める
この地にいた江戸氏の一族
石浜氏が神明宮近傍に城を構える
戦乱の世となった後は
幾度か合戦の地となり
幾筋もの血が流れた
武蔵野を跋扈した武士に加え
地元の有力百姓が領主などと
主従関係を結んだ地侍が登場する
もう毎日が戦だ
何が何だかわからないが
戦いは始まり
何が何だかわからないが
死んでいく
そんな人が何万といたに違いない
決して歴史に名前など残らない人々
時代は変われど
何が何だかわからぬまま始まり
何が何だかわからぬまま終わるのは
いつの世でもまた一緒の事
勝つか負けるかわからないが
それでもその瞬間
昔のサムライも日本兵も
今の君も僕も必死だろ
チキン野郎の思いつきに
翻弄されたとしても
サムライアタックで
蹴散らしてやれ
「ああ戦いにこだわって敗れゆく定めだとしても
移ろうこの世間にゃズレてる方がいい」
(「ズレてる方がいい」エレファントカシマシ)
石浜神社
東京都荒川区南千住3-28-58
金鑽神社〜武蔵国五之宮 ― 2018年01月07日 22時25分27秒
お前の剣を渡しなさい
弟は握りしめていた剣を姉に渡す
太くて硬い十拳剣トツカツルギ
姉の白い手が剣を包み込む
剣は三つに折れ曲がり
そして
そのまま
口に含んだ
川の流れる谷底には
止むことなく風が吹いていた
土中からは銅と鉄が産まれる
絶好の立地だ
製鉄集団が居を構えたのも
もうそれは古代の話
金鑚カナサナという名が示すように
考古学よりも明らかなのに
背後の山が御神体だそうだ
であれば
祭神がアマテラスオオミカミで
ある訳がない
どこかできっと
捻じ曲げられている
祭神 天照大神 素戔嗚尊
天照はアマテラスではなくアマテルだな
天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊
ニギハヤヒが父親のスサノオと共に
祀られているのだ
ニギハヤヒを信奉する人々が
嘗て此処に存在し
そして此処でも
ニギハヤヒの名は巧みに消され
本殿には御丁寧に菊の紋まで飾られている
大晦日になると
年神様を迎える準備をしたり
正月には餅を食ったり
初詣に行ったりを
当たり前のように皆しているけど
ニギハヤヒは別名を大歳オオトシといって
年神様の正体で
この頃に出来た風習なのですね
日本人のDNAとして延々と続いている訳です
別に古代に帰れと言ってる訳ではなく
各位の信心信仰を否定するものでもなく
自分の国の歴史を正しく認識したいだけで
変に物事を隠すから
迷信に惑わされたり
自信を失ったり
馬鹿な権力者に媚びたりする輩が
後を絶たないのさ
正月期間だからか社務所には
置いてなかったのだけれども
神社のホームページでお札を紹介している中に
御歳大神のお札を見つけた
御歳はミトシ
ニギハヤヒの娘である
そして
彼女は磐余彦イワレヒコ
つまり
初代天皇である神武天皇と結婚する
スサノオの剣を噛み砕き
霧のような息を吐くアマテラス
そこから次々に子供が産まれる
二人は案外
婚姻関係にあったのかもしれない
始まりを曖昧にしているこの国は
曖昧に既に終焉しているのかもしれない
金鑚神社
埼玉県児玉郡神川町字二ノ宮750
元神明宮 ― 2017年09月10日 11時35分10秒
漆黒の不安な雲が俺の頭上に拡がっている
来た
長く尖った爪
三本しかない指は
鳥の足のように不気味だ
彼方此方に金属のような剛毛
腕だ
巨大な腕が
俺の髪の毛を掴む
一太刀だ
血を吹き出して落下した巨大な腕を残し
暗雲は掻き消えた
刀の名は髭切
鬼丸とでも名を改めようか
母上
どうされたのです
わざわざ都まで
とにかくお寛ぎくださいませ
どうしたのです
母上
元神明宮の由緒によれば
徳川幕府が元神明の神体神宝を
芝大神宮に移すことに決めたという
その際
氏子等は激しく抵抗
神体を隠し
昼夜を問わず警護したという
祭神は天照大神
同祭神を配す芝神明への移設合祀の動機は
江戸城守護を目的とする
増上寺移設に伴う
施設統合の一環と見られる
再び元神明宮の由緒に戻るが
1005年に一条天皇の勅命により創建
渡辺綱ワタナベノツナの産土神であったことから
多くの武人に崇敬されたという
渡辺綱は源氏の流れを汲む武将
摂津国の渡辺党の祖であり
クラスや職場に必ず一人二人はいる
渡辺さんの祖である
渡辺綱の産土神がアマテラスというのは
どうにも結びつかないのだがどうだろう
渡辺綱の母親(養母)の産土神という説もあり
ますますその正体は
摂津国へ求めるのが妥当ではないか
渡辺一族については
を参照いただきたい
渡辺綱の出生地は諸説あるのだが
この港区三田の地も候補地の一つだ
晩年ここに隠居したという説もある
三田綱町という地名がかつてあり
綱坂という坂が現存
又の名を渡辺坂という
渡辺綱が鬼の腕を切り落とす有名な伝説は
遡ると古代の製鉄職人集団に辿り着くという
あるいはこの地に
すでにその末裔たちが
住み着いていたのかもしれない
芝公園には古墳もあるしね
三田は御田であり
伊勢神宮へ奉納する米を作る田
とされているが
土壌に水銀を含むゆえ
中毒死や障害を残す米として
食さず神に捧げたのが始まりのようだ
水銀は金の精錬や青銅の鍍金に用いられた
想像以上に古い時代から
人々は水銀を求めて移動を続けている
いずれにしても
元神明の祭神はアマテラスではなかった
この謎の祭神を徳川幕府は芝大神宮に合祀して
強力な守護のパワーアップを図った
明治天皇はそのことを知っており
奠都にあたり謎の祭神を崇め奉った
という見方をしてみた
真実かどうかは残念ながらわからない
疑いの目で見れば
神社サイドが縁も所縁もない
渡辺綱という有名人にあやかることで
アピール度を高めたかったと
見ることもできるが
西欧人が想像あるいは妄想だけで
架空の唯一絶対神を
創造するようなことを
日本人はしてこなかった
と信じている
元神明宮
東京都港区三田1-4-74
芝大神宮 ― 2017年08月13日 16時07分05秒
東京十社という企画モノがある
各社に可愛らしい小さな絵馬が用意されていて
集めて歩くのもまた一興
神社ビギナーにお薦めの企画である
だが我々はそれに満足していてはいけない
そこにはきっと
秘された意味や意図が横たわっている
権力闘争の歴史
人民統治のシステム
それを知らずして
この日本という国の
立ち位置は定まらないだろう
今日見上げる我々の頭の上で
北朝鮮とアメリカの
ガキのような口喧嘩が続いている
ミサイルが通り過ぎるのを
ただ口を開けて眺めているつもりか
役割を引き受けたのなら
問題を自分のものとしてしっかり抱えろ
誰かの原稿を朗読するのではなく
己の頭で考えろ
出来ないのであれば
黙って去れ
東京十社はそもそも
明治天皇が東京奠都にあたり
准勅祭神社として定めたものだという
東京の鎮護と
万民の平安を祈願されたという
もともとの江戸ッ子や氏子にとっては
ウチとこの神さんに何やねん
まあ箔がつくわなあくらいなもので
それ程の意味合いも感じられず
かと言って御朱印集めたりブログ書いたりする
暇な奴がいる時代でもない訳だ
何れにしても
この十社の設定は決して
万民のために意図されたものではない
考えられることは
所縁のない地に乗り込んでくる天皇の
心中の恐怖だ
明治天皇がこの十社を定める前段で
大宮の氷川神社の例大祭を勅祭に定めている
氷川神社の祭神は言うまでもなく
スサノオだ
もう我々は
初代天皇である神武天皇
それ以前に
日本を支配していた王がいたことを知っている
王の名はニギハヤヒ
そしてその父親がスサノオだ
その支配は
遠く関東の地までも及んでいた
関東一円に分布する
夥しい数の
スサノオを祀る神社の存在がその証拠だ
所縁のない地で
引っ繰り返った世に
天皇の国家を築くという役割
最も恐れたのは
恨みを伴って死んでいった者達の怨霊だ
王権を奪われたスサノオ始め出雲系の神々
長いこと関東の地に鎮座してきた怨霊達は
新参の王様を簡単に受け入れる筈がない
明治天皇は
この地の怨霊を鎮めるのに躍起になった
そして同じ意図で十社を選んだ
というのが真実ではなかろうか
天皇崇拝を民衆に浸透させる意図
というのも考えられるが
政府が神仏分離や御影配布など
政策的に実行するのには
もう少し時間が必要だった筈で
事実この十社の准勅祭社は
わずか2年で廃止となっている
わずか2年で廃止となっている
その後政府の施策にシフトしたということだろう
やはりその当初は
怨霊鎮めの意味合いであったと考えたい
その視点で東京十社を見てみる
赤坂氷川神社(スサノオ)
根津神社(スサノオ)などはわかりやすい
根津神社(スサノオ)などはわかりやすい
神田明神は関東最大の怨霊である将門がいるし
大国主も鎮座
大国主も鎮座
芝大神宮は天照大神と豊受大神
伊勢神宮の神であり
天皇家の祖神だ
アマテラスは明治天皇に
しっかりやんなさいとエールを送るでしょう
って、あれ?
いきなり怨霊鎮めのロジックが破綻してしまった
仮説が単なる妄想に終わりそうだが
長くなったので続きは次回に
芝大神宮
東京都港区芝大門1-12-7
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