豊崎神社2015年12月13日 15時04分40秒


諸君!
今諸君らが立つ此の地は
大化改新の偉業を成し遂げた
孝徳天皇の宮殿があった場所である
今此の地はこのように荒れ果て
誰も宮殿の跡であることを知らない
諸君!
私は此処に
孝徳天皇の御霊を祀り
未来永劫
そのご威光を讃え奉ることとした

大阪市北区にある豊崎神社
落ち着いた趣のある神社である
由来によれば
この神社のある場所は
大化の改新後に遷都された
難波長柄豊碕宮の旧跡地であるという

祭神は孝徳天皇
中大兄皇子の叔父にあたる
天皇とはいっても
実権は中大兄が握っており
中大兄はこの人のいい叔父さんを
酒漬け女漬けにして政治には介入させず
自分はますます権力の虜になっていったというのが
本当のところらしい

大人しくしてれば良いものを孝徳天皇は
自分の子を次の天皇にしたいんよと言い始める
お前に決定権はないんだぜと言わんばかりに
中大兄は孝徳天皇一人を残し
皆んなで飛鳥の宮へ移ってしまう

何があったのかこの時
孝徳天皇の母親も弟も
そして妻の間人皇女までも
中大兄に付いて行ってしまう
間人皇女は中大兄の妹で
近親相姦の関係にあったらしい
中大兄
なんとも胡散臭い男である

孝徳天皇はその後
失意のうちに病死とあるが
実際は推して知るべしといったところか

さて
難波宮であるが
戦後に大阪城の南側
旧陸軍の用地であった場所から次々に
遺跡が発掘される
複数の年代にわたる遺跡が出て
伝説とされていた難波長柄豊碕宮もまた
此処に在ったというエビデンスが出揃う

残念ながら豊崎神社の地は
難波宮の学問的研究からは除外されてしまう
だがそこで思考を短絡的に切り捨ててはいけない
なぜ伝説は現在に至るまで残ったのか
そこに歴史の真実がある
と言ったら大袈裟だろうか

神社の由来によれば
孝徳天皇の崩御後
松林と成り果て八本松と呼ばれたこの地を
一条天皇が憐れみ
藤田重治という人物にこの地の開発を命じ
孝徳天皇を祀る小祠を建立した
とある

なんだかますます胡散臭くなってきたが
出自不明の謎の男に時の天皇が
由緒ある土地の開発を命ずるとは考えられず
男の自発的行為としても
勝手に天皇を祭り上げるなんて
果たして可能であっただろうか

一条天皇もまた温和な人のいい性格だったようで
実権を掌握する藤原道長に
いいようにされていたようだ
道長の娘の彰子を后に迎えていたが
藤原親娘にネチネチと苛められていたらしい
そんな境遇が似ていると
孝徳天皇を密かに信奉し
失意のうちに死亡し怨霊と成り果てた御霊を
そっと難波津の地に祀った
なんていうのはどうですかね

豊崎神社

豊崎神社

豊崎神社
大阪府大阪市北区豊崎6-6-4