山坂神社2016年06月12日 11時46分03秒


ホヒを待っている
ホヒは戻らない
あれから随分と長い時間が経っている
どういうことだ
ホヒは何故戻らぬ

高御産巣日神タカミムスヒノカミと
天照大御神アマテラスオオミカミは
諸々の神を招集する
大国主命オオクニヌシノミコトとの交渉役
この大役は
天穂日命アメノホヒノミコトに決まった

ホヒはアマテラスの次男坊である
男前の母さんに行っといでと言われ
意気揚々とあるいはビビりながら
オオクニヌシのもとへ向かうホヒ
ところが
いつまで待ってもホヒは戻らない

古事記には
「大国主神に媚び付きて」と
敵に寝返った
卑怯な裏切り者として記述されている
同時にまた
ホヒは出雲国造をはじめ
出雲系諸氏族の祖神であると記されている

その後陥落され
出雲の国に幽閉されたオオクニヌシ
後から来て偉そうに踏ん反り返る
アマテラス系の奴等
ホヒの末裔達は奴等に迎合し
オオクニヌシの監視役なのか
出雲の地で国造として
有力な地位を築く

だけどそのプライドからか
あるいはオオクニヌシの
男っぷりに惚れ込んだ故か
奴等に決してへつらうことは
なかったのだろう
記紀の記述は
どうも言うことを聞かない彼等への
支配者の負け惜しみのように読める

昔々から
何度も何度も何度も
北から南から西から
日本列島に人が渡って来て
既得権を主張したり
支配されたり
抵抗したりを
繰り返してきた

ホヒを祀るこの山坂神社の辺りは
百済系渡来人の一大勢力
田辺氏の根拠地であった
今でも田辺という地名がしっかり残っている
証明されていないが
境内地は古墳であると言われている
ホヒを祖神とする彼等
出雲の地と大阪の古代が
ここで繋がる

さてこの山坂神社のすぐそばには
日本が誇る超有名電気メーカーの本社がある
昨今では海の向こうの企業に
すっかり靡いてしまったようだ
昭和の大躍進を覚えている人には
些か淋しい話なのかもしれない

だけどきっと僕等は
昔々から抵抗と迎合を続けてきたのだ
淋しさや痛みを伴いながらも
したたかにまたしなやかに
進んでいくしかないのかもしれない

ホヒの子孫の出雲国造
南北朝時代に千家氏と北島氏の二氏に分裂
千家氏が出雲大社の宮司を代々担うことになる
2014年には
皇室と千家氏の婚姻が話題になった

長い長い時間
アマテラスとタカミムスヒは
まるでゴドーを待ちわびるように
不毛の議論を続けていたにちがいない
ようやく
アマテラスのもとに
ホヒが戻ってきた

山坂神社

山坂神社

山坂神社

山坂神社
大阪府大阪市東住吉区山坂2-19-23

野見宿禰神社2013年07月07日 15時57分48秒

両国はお相撲さんの街
この街を訪れると
ポストに手紙を出しに行くお相撲さんや
花屋でお花を買って帰る途中のお相撲さんなど
テレビでは見られない日常のお相撲さん達を
見る事が出来る

そんな相撲の街両国に
相撲の神様が祀られた神社が在る

垂仁天皇の時代
当麻蹶速タギマノクエハヤという天下の力持ちが
俺より力のある奴と勝負がしてぇと豪語
出雲より野見宿禰ノミノスクネが
勝負のために招かれる

二人は向かい合い睨み合い
緊迫した空気が流れる中
角力は蹴り合いから始まり
野見宿禰が当麻蹶速のあばら骨を踏み砕き
さらには腰の骨を踏みくじいて
殺してしまう
勝者、野見宿禰は強さを認められ
その後天皇に仕えることとなる

野見宿禰は智慧者でもあった
当時天皇の系統の者が亡くなった場合
その墓に生きた人間を一緒に
多数生き埋めにする習わしがあった
ある時
生き埋めにされた人々は
なかなか死なず
昼夜泣き喚く声が続き
遂には死んで腐敗した死体を
犬や鳥が集まって食べるという
おぞましい状況となる

野見宿禰は
土で人や動物の形を造り
今後は生きた人の代わりに
陵墓に埋める事にしましょうと
天皇に進言する
埴輪を発明した野見宿禰の子孫は土師氏と呼ばれ
代々の天皇の喪葬を司る一族となる

両国は死者の街
江戸の大火では焼死者10万8千人が回向院に葬られ
関東大震災では横網公園(旧陸軍被服本廠)で
4万4千人が焼死
東京大空襲では焼夷弾が雨のように降り注いだ

死者は無念と怒りを抱いたまま
この両国の地で地霊となる
野見宿禰の末裔であるお相撲さんが
四股を踏み
土地の下で蠢いている
夥しいほどの地霊達を
抑えているのだ



野見宿禰神社
東京都墨田区亀沢2-8-10