三島神社2014年05月21日 21時09分23秒

時は1281年、弘安4年
15万の軍勢と4千の軍船が日本に向けて出航する
後に弘安の役と呼ばれる
モンゴル帝国による二度目の日本侵攻である
日本は強靭な防衛体制で挑みこれに勝利
活躍した武将に河野通有ミチアリという男がいた

台東区には三島神社が三つある
どれも由緒は一緒で
河野通有が凱旋した際に
この関東の地に
大山祇神オオヤマズミノカミを祀るよう
夢のお告げがあったのだという

大山祇神を祀る大山祇神社は
瀬戸内海の大三島にある
愛媛の豪族越智氏が百済から伝えた神様らしい

河野氏は越智氏につながる一族
瀬戸内で名を馳せた水軍である
大山祇神を信奉するのはわかるが
何故遠く関東の地にまで
神社を建てねばならなかったのだろう

河野氏は何度も衰退の憂き目に遭う
戦いに敗れた一族一派は方々へ流れ着き
そこで自分たちの神様を祀る
そんな想像が浮かぶ
そしてある時この関東の地まで辿り着き
上野の山際に住み着いた

時は下って江戸時代
上野の山にあった三島神社は
寛永寺の造営に伴い金杉村に移転
その後そこも御用地となり寿4丁目に遷座
現在の本社三島神社である

ところが氏子達がこれでは遠すぎるとクレームをつけ
根岸の熊野神社に合祀
現在の元三島神社である

さらに金杉村字金杉町にも勧請
現在の下谷の三島神社である

既にこの時河野氏は没落衰退していたのに
江戸の街で大山祇神を信奉する氏子の存在
幕府に楯突いてまで自分たちの神様を守る意地
水軍の末裔としてのプライドが
そこにあったのかもしれない

実際に下谷から寿4丁目まで歩いてみたのだが
結構な距離で文句の一つも言いたくなるな
本社と名乗るもひっそりと忘れ去られた印象

鴬谷駅前の元三島神社なんて
境内の下には飲み屋のテナントが入り
周りはラブホテルだらけの
ビジネスとしては成功者といった風貌

それと今でも
下谷の三島神社の宮司は
河野さんらしいよ


本社三島神社
東京都台東区寿4-9-1


元三島神社
東京都台東区根岸1-7-11


三島神社
東京都台東区下谷3-7-5