大國魂神社〜武蔵国総社2018年01月28日 18時36分15秒


大体さぁ
俺たちの若い頃ってぇのは
現場に行ってね
それで全部覚えていったんだよ
現場には必ず厳しい人がいてね
最初は怒られる訳よ
コッチは何も知らないからさ
それと偉い人を連れて行くんだけど
彼奴ら何にもしないからね
先々の宴やら宿泊やら段取りが大変でさ
我儘言うしね
無理矢理飲まされたり
それが仕事だったんだもの
今じゃあ
現場なんか行かないだろ
こんな書類なんかで済ませちゃう
ホント気の利かない奴ばっかりになっちゃった
おい聞いてんのかよ
飲めよ

大國魂神社は武蔵国の総社である
本殿が三殿構造になっており
真ん中にオオクニヌシ
一ノ宮から六ノ宮まで
武蔵国の主要な神社の祭神を
左右に配している

大和朝廷による
律令体制の施策により
ここ府中の地を国府とし
国司が中央から赴任
執務の為の国庁・国衙
つまり役所がこの
大国魂神社の辺りに存在したことがわかっている

当初国司は主要な神社を巡拝するのが
役割の一つであったが
なにせ電車もバスもない時代
一年のほとんどをこの巡拝の旅で忙殺され
それなのに中央からは税徴収が滞っているなどと
文句を言われ
やってらんねえよと言ったかどうかは知らないが
役所のそばに集めちゃえばよいと
出来上がったのが総社という仕組み
岡山県の総社市なんて地名にもなっている

全てを調べた訳ではないが
国府に置かれた総社の主祭神は
オオクニヌシがメインのようだ
普通に考えれば
大和朝廷なのだから
アマテラスを持ってきて
いいようなものだが

これまで見てきた一ノ宮から六ノ宮までの
スサノオ・ニギハヤヒの系譜
大和朝廷が入ってきたときには既に
各地で主要な神社となっていた程に
統治構造が完成していたと
見るべきではないだろうか
そこにいる人々は
スサノオ・ニギハヤヒへの信奉を持って
日々の暮らしを送っていたのではなかろうか

暴力的な支配では
人々は言うことを聞かない
これでは税が思うように集まらないと
大和朝廷は考え
私たちは皆さんの神様に敬意を持ってますよと
巡拝の仕組みをつくり態度で示した

さらには
簡素化・効率化の追求・働き方改革
あるいは役人の怠慢のように見える
総社の仕組みは
スサノオ・ニギハヤヒの
怨霊を恐れてのことと
見た方が良いかもしれない
あちこち行ってる間に
他が祟ってはたまらんと
モグラ叩きゲームに
気が気でなかった筈だ

少しでも近くに
いつでもすぐにでも
怨霊鎮めの祈祷が出来るようにと
役所のそばに置いた
というのが真の理由
だと思う

そして大和朝廷は
スサノオ・ニギハヤヒの名前と
輝かしい功績を消すことを忘れない
素直に国を譲るオオクニヌシという
キャラクターを仕立て上げ
そこに祀る
出雲大社と同じ手口だ

巧妙な遣り口は長い時間の経過で成就し
日本史の教科書は未だ
国の始まりはぼんやりとしたままで
霞の中から唐突に聖徳太子が現れたり
これじゃあ受験生だって暗記もできやしない

一方で武士の台頭
幕府の成立により
国司の制度は有名無実化し
役所自体が不要になったのだろう
柱の穴だけを地中に残して消滅
つい最近までその所在すら
わからなかったという

どうせ当時の役所の建物なんて
現在と一緒でセンスのないつまらんもの
だったに違いない
税を取り立てる奴等の集団
その所在など人々の関心事ではない
そしてそこにいた役人も
また然り

大國魂神社

大國魂神社

大國魂神社

大国魂神社
東京都府中市宮町3-1

コメント

_ チタ ― 2018年04月05日 15時32分48秒

大和朝廷に消された神に瀬織津姫がいる。記紀には全く出てこない。ただ大祓詞とホツマツタエに出てくる。
天照の奥さんとの事だが、天照が女神に変えられた時点で瀬織津姫は、抹殺された。ただ日本中にこっそりと祀られている。関東近辺にも名前を変えたり合祀の形で多数祀られている。

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