守屋祠〜見付かつた、何が、永遠が32015年08月22日 15時30分00秒


聖徳太子の手には七星剣
禍々しくも妖しい光を放ち
刀の前に立つ者を凝固させる
刀身に刻まれたのは
七つの星
北斗七星

訳のわからない仏教なんてものを
この国に持ち込むからこんなことになるのだ
この国にはもうずっと昔から
八百万の神がいるではないか
だからこんなことになるのだ
天皇まで病に伏された
見てみろ

蘇我氏とともに大和朝廷の政権を二分した物部氏
天皇が変わろうが
その地位が揺らぐことはなかった
そもそも物部氏の祖先は
神武天皇よりも先に
大和の地に天降った
饒速日命ニギハヤヒノミコトとその一族なのだ
彼らは巨大な磐船で空から降りてきた
遠く宇宙の果てから
彼らはやって来たのかもしれない

それが面白くなかったのか
あるいは財産目当てという説もあるが
日本書紀では
仏教の普及で激しく対立したため
物部守屋は蘇我馬子によって
殺害されたと伝えられる

その際に
若き聖徳太子は
その戦いに勝った暁には
四天王を祀る寺院を建てますと戦勝を祈願したそうだ
四天王寺の起源である
そして今でも
四天王寺の境内には
物部守屋を祀る祠がある
そこは毎月22日だけ近づくことが許される
22日は聖徳太子の命日だ

西を向くと
海に太陽が溶けていく
そしておそらく
永遠の再生が約束される
四天王寺はそんな場所を選んで建っている
たくさんの死者と共に
物部守屋は弔われた

かのように見えるのだが

どうやらそんな
寝ぼけた坊主の説教のような話ではないのだ
慰霊や供養なんていう生易しいものではない
そもそも物部一族は
モノを扱う役回りと共に
呪術を駆使する一族であった
殺っちまった方にしてみれば
これは何が起こるかわからんぜと
皆恐怖したに違いない
別の呪術一派によるものか
憎しみと怨念を失うことのない物部守屋は
永遠に残酷に
そこに封じ込められた

四天王寺は実は
聖徳太子の伝説と仏教寺院という形態で
カモフラージュされた呪術装置であり
古代から続く怨霊信仰の
歴とした神社なのだ
これが
釈迦の教えとは似て非なる
そしてその後独特の変遷を辿る
日本の仏教の起源であるのだ

四天王寺七宮の現在地と跡地をラインで結んだ
この地図を見ていただきたい

守屋祠

守屋祠をぐるりと取り囲む七つの神社
いびつに歪む北斗七星
まるで物部守屋の首筋に
鋭く七星剣が
突きつけられているようではないか

守屋祠

守屋祠

守屋祠
大阪府大阪市天王寺区四天王寺1-11-18
四天王寺境内