日比谷神社〜彷徨う神社2013年04月01日 23時37分18秒


日比谷公園の一帯が
まだ日比谷入江と呼ばれる浜であった頃
今と違い陸は起伏に富んでいて
おそらく古墳なのだろう
大塚山と呼ばれた小高い場所に
日比谷神社はあった

武蔵野の台地に戦乱は絶えなかったが
海そばの神社は海苔を採る漁師達の信仰を集め
平和な時を過ごしていた

慶長11年、家康が江戸城築城の大規模な工事を開始する
この地に日比谷御門を造営するとのお達し
日比谷神社は現在の新橋駅東側への移転を余儀なくされる

それから300年安泰の日々が続いていたのに
大正12年関東大震災により新橋周辺は壊滅的な被害を受ける
震災復興都市計画の名の下に
日比谷神社は新橋四丁目へとまたも移転を強いられる

そしてこの度
戦後60年間凍結されていた
「東京都市計画道路幹線街路環状2号線」
虎ノ門〜新橋間が着工されるにあたり
平成21年7月、日比谷神社は新橋駅の南側へと移転した

寺や教会と違って
神社はその設置場所に重要な意味があるのだが
この神社はそうでもないらしい

祭神は豊受大神
伊勢神宮外宮に祀られているトヨウケヒメのこと
素っ裸になって海で遊んでたところ
衣服を隠されて帰れなくなった天女で
その後も引き取られた老夫婦に冷たくあしらわれ
死んでいく薄幸の美女だ

こんな関東の地に来てまで
なかなか安住させてもらえず
なんで私だけこんな目に会うのよと
普通ならふてくされてグレちゃうところだが
トヨウケヒメは鯖断ちする人の歯痛を直してあげたりと
とても優しい

もうみんな忘れているだろうが
汐留の日本テレビ社屋に番宣で置かれた「ごくせん神社」も
日比谷神社からトヨウケヒメが勧請されていた
トヨウケヒメはきっと仲間由紀恵みたいな顔をしていたに違いない

そこに暮らす人々とまるで無関係な都市計画とは何なのだろう
権力者の妄想ほど質の悪いものはない

いつのころだろうか
江戸湊の漁師の親分が言い出したのだろう
日比谷神社はどうしても海岸になきゃいけねぇよと
八丁堀先の干潟に日比谷神社を分祀
海は遠くなってしまったが
現在でも小さな祠が残っている





日比谷神社
東京都港区東新橋2−1−1
日比谷稲荷神社
東京都中央区八丁堀3丁目

大久保稲荷神社2013年04月14日 16時23分40秒

朝靄の中
澱んだ掘割に死体が流れ着く
堀のどん詰まりに
ふやけた死体が流れ着く

死体は
無言の人達によって
深川五間堀の湯灌場大久保へ運ばれ
全身を洗い清められた後
音も無く葬られる

死をひた隠す区画整理は敗北し
いくら掘割を埋立てたところで
未だ碁盤の目を斜めに切り裂き続け
土地の記憶を永久に曝す

大久保稲荷神社が
もう誰も覚えていない湯灌場大久保の
記憶を 曝す




大久保稲荷神社
東京都江東区森下2−31−16

築土神社〜飛地の氏子2013年04月21日 16時36分59秒

築土神社は平将門を祀る神社だ
古来、大手町の首塚と共に在ったものが
時の偽政者達、太田道灌や家康らによって
宮城守護目的の重要ポイントへ
度々移転をさせられている

ここら辺の詳細は加門七海さんの名著
「平将門魔方陣」へ譲るが、
築土神社は、今は九段北の近代建築の狭間に
クールな出で立ちで鎮座している

市谷船河原町という町がある
築土神社から西方、外堀通り沿いにある丁番のない町だ
ここになぜか築土神社の飛地社が在る
もちろん祭神は平将門だ

この町も古来、大手町付近にあったそうだ
家康による神社移転と時を同じくして
神社周辺の代地への移転を強いられ
戦後、神社の現在地への移転の際
町民は取り残され
分祀を行い飛地社を設けたそうだ

神社が遠くなるのでという理由が由緒にあるが
その歴史を見ると
平将門との繋がりを持つ一族、という想像が浮かぶ
将門の首を必死に守り
そのパワーを自在に駆使する一族
家康はそれを知っていたので
神社と共にその一族を同地に置いた
のかもしれない

大手町の首塚は大正12年に発掘が行われたことがある
その際、石室が発見されたが中は空だったという
将門の首は何時かの時点で秘密裡に移され
何処か重要なポイントで
今だ東京を守護するパワーを
発し続けているに違いない


築土神社
東京都千代田区九段北1−14−21
船河原町築土神社
東京都新宿区市谷船河原町9番地


靖国神社2013年04月27日 20時17分19秒

実在が確認できる人物が神様として祀られる例は少なくない
彼等は強烈な怨恨を抱いたまま死に至り
祟り神となってこの世に災いをもたらす
そのパワーを利用してやれと
彼等を恭しく祭り上げることで
願いを叶えてくれる神様が誕生する
菅原道真や平将門がこれに当たる
きっと頭の良い人が考えた優れたシステムであり
日本独特の宗教文化である

靖国神社の祭神は
246万6千余柱の明治以降に戦争で死んだ人々だ
坂本龍馬や西郷隆盛などの有名人や
東条英機などのA級戦犯も含まれるが
その多くは無名の人々である

本当は嫌なのに戦地に連れ出され
訳の分からぬまま死んでしまったり
上官からの理不尽な罵倒や暴力に
この野郎と怒りを抱きながら死んでいったり
といった名もなき人々の聞くことの出来ない怨恨が
246万6千積み上がっていると言うならば
神社の機能としては理解できる

「天皇陛下万歳」と心から叫んで喜んで死んでいったのが
我々の諸先輩達だと言うなら
神様になったところで
そのパワーはたかが知れている
我々が神前で言えるのは
敬いを持ってありがとうございました
であり、家内安全や合格祈願など期待できるわけがない
ましてや
国家繁栄や国家鎮護などといった大それた願いなど
聞き入れるパワーなどあるわけがない

国家の為に一命を捧げられた方々を慰霊顕彰するのが目的であれば
こんな中途半端な神様、英霊にではなく
きちんと諸先輩達に尊崇の念を表するやりかたがあるはずだ
宗教文化と真面目に対峙するのに怠慢だったから
こんなことになっている


靖国神社
東京都千代田区九段北3−1−1


太田神社2013年04月28日 17時34分31秒

世界が暗闇に閉ざされた中
炎が灯されたステージに
強烈なビートが鳴り響く
髪の毛を振り乱し
汗を撒き散らしながら
天鈿女命アマノウズメノミコトは 踊り続ける
乱れた衣服から遂には乳房も女陰も露に
ステージは絶頂を迎え
オーディエンスは総立ちで盛り上がる

そんなウズメちゃんが牛天神北野神社の境内社として
夫の猿田彦命サルタヒコノミコトと一緒に祀られている
しかしこの神社
元は暗闇天女という貧乏神が祀られていた
名前からして怪しい民間信仰のいわゆる淫祠というやつだろう
ウズメちゃんが登場したのは
淫祠迫害からの逃避策だったのかもしれない
しかもさらに合祀社である高木神社の祭神はあの第六天

男気溢れるウズメちゃんは
オロオロするサルタヒコを尻目に
たぶんこう言った

アンタ達、行くところがないなら
ここにしばらくいなさいよ
道真のダンナには
アタシが話をつけてあげるから



太田神社(北野神社境内社)
東京都文京区春日1-5-2