鮫ヶ橋せきとめ神2013年02月24日 15時48分49秒

何故東京の街中に乞食や浮浪者がこんなに溢れるのかと
明治政府は驚愕した
良くも悪くも江戸の行政システムとして存在していた弾左衛門や車善七といった機能は崩壊させたのに
階級社会の上っ面を変えただけでは、その末の歪みは当然のことであったろう
貧しい人々は谷底に集まった
目の前に東宮御所が位置するじめじめとした湿地に巨大なスラム街が出現する
谷底は汚物と伝染病と飢餓の坩堝と化す
陸軍士官学校から排出される残飯が有価物として取引され
彼らはなけなしの金でそれに群がる

いつから在ったものだろう
小祠が現在に残っている
鮫ヶ橋という地名は消滅し
きれいな公園に整地された谷底では
子供達が野球の練習に精を出す

人々は何処へ行っただろう
つい百年前のことだ
小祠は祈りを集めただろう
保証なき残酷な世界からの救済を
あるいはささくれ立った精神は
そんなことを考える余力すら無かったかもしれない

戦後、新興の巨大宗教組織がそんな谷底に出現し
困窮する者たちは飲み込まれ
この小祠には咳止めに効くという伝説だけが残り
もはや此処を訪れる者は少ない



鮫ヶ橋せきとめ神
東京都新宿区南元町20