諏訪神社〜夕やけだんだん2017年06月24日 19時16分54秒


夕暮れに思想家は
商店街の賑わいに身を任す
夕暮れに思想家は
湯気の立つ台所の窓を過ぎ
緩やかな段々を降りていく

規格された街路の上で
誰一人知った顔のない群衆の中で
孤独に強く心を定めよと
思想家は詩を編む

「ぼくの孤独はほとんど極限に耐えられる
ぼくの肉体はほとんど苛酷に耐えられる
ぼくがたおれたらひとつの直接性がたおれる
もたれあうことをきらった反抗がたおれる」
(「ちいさな群への挨拶」吉本隆明)

科学技術を舐めてはいけないと
反原発主義者を批判した思想家
だけどそんな科学技術に
人はついていけてない
理論を現実化する工学や施工技術が
理論についていけてない
津波の到達高さの想定をするのは人の頭で
圧力容器や配管の溶接をするのは
原子力発電所の建設現場で
フランジのボルトを一個一個締めるのは
人の手なのだ

科学技術が社会に及ぼす影響を
誰が一体考えているのだろう
人工知能がそう遠くないうちに
人の知能を超えて物を考え出すそうだ
そうなると人にはその後
もう何が起こるのか誰にも
予測不可能な世界が始まるのだそうだ
なあ
俺たちは一体
何がしたかったんだっけ?

思想家はもういない
その最後に
ひきこもれ
ひとりになって思考せよと
語った言葉は
薄皮で繋がることに疲弊した僕等に
重く深く突き刺さる

建御名方神タケミナカタノカミ
長野の山奥へ逃げ込んだ
ひきこもりの神
独自の個性は強さとなって
太田道灌の城の防衛の要となる

思想家はもういない
難解な言葉を必死で駆使した時代は過ぎ
東大を出たエリート女がハゲだの死ねだのと
糞のような言葉を吐く時代
それでも次々と偉そうに
摩耶化しを垂れ流す奴等が後を絶たない
新たな擬制は生まれ
その終焉はまだ先なのか

思想家が歩いたという
夕やけだんだんを降りる
商店街は祭りのような賑わい
真昼間から店先でビールなんて飲んで
みんな楽しそうだな
それがほんとうのことだよと
思想家は言っていたに違いない

諏訪神社

諏訪神社

諏訪神社

諏訪神社
東京都荒川区西日暮里3-4-8

諏訪神社2014年04月19日 16時05分25秒

祭りの日
真っ赤な着物を着せられ
藤蔓で後ろ手に縛られ
馬に乗せられる男の子
次の瞬間
複数の大人達に殴られ
馬から突き落とされる

男の子は再び馬に乗せられ
何処へか出立する
その後その男の子を見た者はいない

夥しい数の鹿の頭
室の中は血の臭いで充満する
神は
生け贄を欲する

諏訪神社の祭神は
建御名方神タケミナカタノカミ
農耕漁業の神とは明らかに性格を異にするこの神は
米や酒なんかでは満足しない
生け贄を
神は
生け贄を欲する

日本は農耕と漁業の国で
そいつが固有の文化であるなんて
薄っぺらいことを言う人がいるが
つい最近まで
日本には山で生きる民が多く存在し
山の民の文化が存在していた

彼等は狩猟の民であり
殺生戒なんぞの誰が持ち込んだか解らぬ
考え方など知ったことではなく
鳥獣を捕らえその肉を食す
そして彼等の神もまた鳥獣を好む

農耕技術は朝鮮半島から伝わったと歴史家は言う
であればそれ以前の日本人は
誰もが狩猟により生きる糧を得ていただろうし
糧を与えてくれる神への感謝や畏怖をきっと
抱いていただろう

長野県にある諏訪大社では
七年に一度の御柱祭が有名で
そのクライマックスでは
大木に乗った勇敢な男達が急峻な傾斜を一気に下る
時に死傷者が出てニュースになることもある

山の民はすっかり平地人に取り込まれ
今や生け贄の神事など許されるわけも無い
諏訪の神は七年に一度
事故による生け贄を待っているのかもしれない

神道なんていう一言では決して括れない
系統立て出来ない程の多様な信仰形態が
日本人の信仰の真実だ
万世一系だの祖先は農耕民族だのと
思い込みでしかない
狩猟の時代の残酷で野蛮な血が
今だってきっと流れてる



諏訪神社
東京都台東区駒形1-4-15