皆中稲荷神社2017年07月30日 16時16分28秒


辺り一面が焼け野原だ
巨大な破壊が通り過ぎ
俺達は何もかも失ってしまった

蛆虫のように
うじゃうじゃと
生きていた人が集まり始める
汚れた顔のまま
襤褸を纏ったまま

夥しいバラック群
細い路地には
小便の臭い
此処は俺の場所だよと
権利は主張され
呆然としていた行政が
気づいた時には
既になす術もない

徳川幕府の鉄砲部隊である百人組
彼等の居住地が
百人町の由来である
なにせ徳川安泰の三百年
彼等は鉄砲の稽古や
警備などの仕事はしていたが
戦争に駆り出されるわけでもなく
給料も安いので
副業でつつじを栽培するなど
なにやら呑気な生活だったらしい

明治以後は
陸軍技術本部が置かれるなど
軍都としての様相を呈すようになる
それが為か
第二次世界大戦では
激しく空襲の標的となり
廃墟と化す

皆中稲荷から
異国の料理店と
外国人が犇めく通りを
北に向かう

百人町三丁目あたりから急に
不自然に町割りの狭い
密集した戸建ての住宅地が現れる
戦後の荒廃した土地に
次々と建てられたバラック住宅の
痕跡が町割りに残っているのだという

やたら土地が歯抜けになっていて
区の管理地だったり
ポケットパークという公園だったり
その横で
そのまま建て替えられたのか
新しい家には
ベンツが停まっていたりする

皆中稲荷は
みなあたるという意味で
百発百中を祈願する
百人組の輩に
信奉されていたという
今では
ギャンブルや宝くじが当たるといった
俺だけに幸福が当たるようにと
考える輩で賑わう

今度空襲があったら
それで生き延びることができたら
俺も戦後のドサクサで
東京の土地を手に入れてやるぜ
俺だけに
俺だけに

みなあたるは
みんなにあたる
だといいのにな

皆中稲荷

皆中稲荷

皆中稲荷

皆中稲荷神社
東京都新宿区百人町1-11-16

鎧神社〜将門調伏③2015年03月15日 17時05分48秒


「地図を見れば誰でもわかることだが、線路はその神社を軸に、見事な弧を描いているのだ。」(「平将門魔法陣」加門七海)

この神社には将門の鎧が埋まっている
首を失った将門の遺骸から
何者かが鎧を引き剥がし
この地まで運んだ

将門を慕う者の仕業とも
俵藤太秀郷が祟りを恐れ自ら埋めたとも
真偽の程は分からないが
兎に角ここの境内を掘れば
将門の鎧が出てくるに違いない

祭神は平将門
この辺りは古くは柏木村と呼ばれ
恐らくは長閑な田園地帯
延々と将門への信仰が
静かに深く続いてきたのだろう

確かに地図を見ると
異様なほど真っ直ぐに突っ走ってきたJR中央線は
この鎧神社を軸に唐突にカーブを始めるように見える
著者は言う
徳川幕府が構築した将門の霊力による結界を
明治政府が鉄路によって分断したと
中央線の終点高尾から
鉄路に天皇霊を乗せて
日々将門に睨みを利かせているのだと

こんな話をすると
あなたは鼻でせせら笑う
それは都市伝説だねと
トイレの花子さんなんかと一括りにする

でも少し待ってくれ
たかだか100年前
明治の始めまで
陰陽寮という行政機関が存在し
呪術を行う技術系の官僚が活躍していた
陰陽師として安倍晴明が有名だが
起源は7世紀飛鳥時代にまで遡る
これはオカルトでもなんでもない
この日本で千年以上も続いた
国家公務員の真面目な仕事であったのだ

鉄道を敷くにしても
さて具体にどこをどうしましょうかといった段階で
様々なファクターがはたらく
地元有力議員によって新幹線の路線が捻じ曲げられる
なんて話は至極当たり前の話だ
徳川幕府が築いた将門の結界を破壊すべく
明治政府が路線を捻じ曲げたというのは
決して妄想のレベルではないんじゃなかろうか

日本人はみんな真面目だから
今目の前にある世界を前提に
これはできるこれはできないと
訳知り顔で偉そうに宣われたりしますが
時に歴史に学ばなきゃ
真実なんて見えやしない
真っ直ぐな中央線が鎧神社を軸に急激にカーブする
そのリアルを実際にその目で見るべきだ

明治政府も天皇も将門を恐れた
その恐れは今も続いている
毎日私達を鮨詰にした電車で
結界を分断し続けることで
将門調伏は続いている
それでも誰も完全に排除はできない
逆賊である将門の首塚を
未だ皇居のそばから
遠ざけることすらできずにいる

ある夜
酔っ払った上司と大手町の首塚へ
おもむろに横で柏手を打ち始めたので
お言葉ですがこれはお墓ですので
柏手はふさわしくない旨を具申
こ、これは祟られると尋常でなく取り乱す上司
将門はそんな器の小っちゃな男じゃないっすよと私
そのとおり上司は今日も無事健在だ

鎧神社

鎧神社

鎧神社
東京都新宿区北新宿3-16-18

将門首塚

将門首塚
東京都千代田区大手町1-2-1

水稲荷神社〜将門調伏①2015年02月15日 13時58分46秒


将門は無敵だ
あいつの全身はまるで鋼なんだ
弓矢など屁の役にも立たない
お前はあいつの弱点を知っている
桔梗
あいつへの情がまだ残っているのか
何てことだ
桔梗
こっちへ来い
お前はもう俺のものだ
桔梗
言え

平将門が最も寵愛したという妃
桔梗は俵藤太秀郷に内通し
将門の秘密を教える
秀郷はしかしその後
桔梗を殺す

俵藤太秀郷は生没年不詳とされているが
将門を討った頃はかなりの高齢だったそうだ
百足退治の頃は快活な若者だったのだろうが
そんな片鱗は既になく
敵の妻をネチネチとたらし込む狡猾な印象
いつの世も老人のイヤラシさは救いがない

将門を討ったことで
彼は朝廷から絶賛を浴びたことだろう
なにせ将門謀反の報に宮中は大騒ぎで
歌を詠んだり蹴鞠をしたり
夜這いをするしか頭にない無能な貴族連中は
まるで絵に描いたように
あたふたするしかなかったのだから

朱雀天皇は将門滅亡を七大寺に祈祷させ
八大明神に調伏祈願を命じた
日本中で護摩を焚いたり呪文が鳴り響く
成田山新勝寺もこの時
将門調伏のため創基されたという

早稲田にある水稲荷神社も
将門調伏の伝説を持つ神社だ
将門討伐の翌年
俵藤太秀郷が富塚の地に稲荷大神を勧請したという
戦勝を記念したというが
何故こんな武蔵の国の古墳の上に
神社を建てるのが戦勝記念なのか
よく考えると
よくわからない

将門の寵妃桔梗の屍が埋められた土地には
桔梗の花は二度と咲かないと言われている
そんな桔梗の伝説は関東の広い範囲で伝播した
そして事実は様々な虚構へと変容していく

実は桔梗は秀郷の妹であった
桔梗の口を封ずるため秀郷が殺した
将門に桔梗が靡いたため嫉妬で秀郷が殺した
桔梗が密通したことを知り激怒して将門が殺した
優しさを失った将門を嫌い桔梗は自害した
などなど

桔梗は将門を裏切った悪女であるとか
秀郷に無理矢理手篭めにされた悲運の姫だとか
様々な伝承に様々な解釈で様々な物語が生まれたが
将門と桔梗の二人はやはり最期まで
お互いを思い続けていたという
ベタな結末を期待したい

今だって
大手町の将門首塚の傍には
皇居の桔梗門がそっと寄り添っているのだから

水稲荷神社

水稲荷神社

水稲荷神社

水稲荷神社
東京都新宿区西早稲田3-5-43

花園神社〜新宿の片隅で2015年01月25日 16時51分16秒


しゃがれた声で歌うその歌は
東京そのものだった
その歌で歌われる新宿が
僕らの東京だった

「知らない街でポリバケツを被って
それでも笑っていたさ
怖いものなんて何もなかったから」
(「街は今日も雨さ」SION)

嘗て沢山の花が咲き乱れていたこの地
いつの頃からあったのか誰にもわからない稲荷社
世は乱れ
大勢の人々が移動を繰り返し
その足跡が大きな道となった

統治者が現れ
此処は新たな宿場町になった
大勢の人々が密集する
人々は非日常の快楽を求め
それらを満たす供給者たちが
次から次に発生する
境内はいつも縁日の賑わいだ

戦争が終わり
焼け野原となった街
敗北で腑抜けになっている暇などなく
不法のバラックが逞しく
食と酒と性を求める人を集める
全焼した社殿の再建資金を集めようと
境内で見世物や演劇の興行が始まった

平和な世となった
神社の目と鼻の先は
東洋一の歓楽街と呼ばれる街になる
あらゆる欲望を満たすメニューが揃い
人々は非日常のスリルを求め
取り憑かれたようにこの街に集まる

一攫千金や成功を夢見て
日本中いたるところから
東京に人が集まる
俺を買ってくれと
きっと誰かが買ってくれると信じて

その歌を聴いて
東京に出て行ったあいつは
そして敗北して田舎に帰ったあいつは
今どこでどうしているかわからない
預かったレコードはまだ持ってる
今でも歌い続けるシンガーは
今だってしゃがれた声で
前を向いて生きろと歌う

「後ろに歩くように俺はできていない
今日を行くだけだ たとえ亀より遅くとも」
(「後ろに歩くように俺はできていない」SION)



花園神社
東京都新宿区新宿5-17-3

於岩稲荷田宮神社2014年10月26日 14時28分53秒


田宮伊右衛門は
お岩の醜い顔が嫌だった
頑固な性格が嫌いだった
妾を孕ませてしまった近所の与力と結託し
お岩を追い出すことにした
外で金を使いまくり
家で暴力を振るう夫を演じた
お岩は出て行った
すぐに与力の妾を妻にした

いつしか話はお岩に伝わり
お岩は発狂した

四代目鶴屋南北が1852年に
「東海道四谷怪談」を上演する以前から
お岩さんの怪談は江戸の町に流布していた

田宮家の屋敷神であった稲荷社が
いつしかお岩稲荷と呼ばれ
現在に伝わっている
神社の由緒では
お岩さんは夫の伊右衛門と仲睦まじい夫婦で
真面目に奉公し傾いた田宮家を救った
それもこれもこの稲荷社を熱く信奉していたからで
その評判で多くの人が集まるようになった
とある

関係者には申し訳ないが
稲荷社にご利益があっただけで
お岩さんご本人を田宮於岩命として
合祀する理由がわからない
ここはやはり
強烈な怨みを持って死んでいった怨霊を
神様として崇めそのパワーにあやかるという
日本古来からの怨霊信仰説を唱えたい
真実は永遠にわからないだろうが
怪談を形成する程のなんらかの事象があり
怨みを持って死んでいった憐れな女を
神様として合祀した
と考えるのが妥当ではないだろうか

いずれにしろ
「東海道四谷怪談」の大ヒットにより
お岩さんは伝説になった
そして21世紀の今日に至ってもまだ
その伝説は増殖を繰り返している
面的な拡がりと経過した長大な時間は
現実を侵食すべく虚構を醸成する

四谷の於岩稲荷田宮神社と同じ名前の神社が
中央区新川にある
明治12年の四谷左門町の火事で
ここに移されたらしい
芝居小屋の近くに置きたいと
初代市川左団次が願い出たとか
昭和20年には空襲により社殿は焼失
戦後に再建され現在に至る

戦後の混乱に乗じたのか
四谷の田宮神社旧跡前の焼け野原に
於岩稲荷立正殿日蓮宗陽運寺という寺が建った
お岩さんの像を祀っているという
追いかけるように昭和27年
元の場所に田宮神社が再建された
二つの社寺は道を挟んで向かい合い
お互いに赤い幟でお岩稲荷はここですよと主張する

玉垣の寄進者が面白い
田宮神社の方は歌舞伎座 明治座 演舞場と
現役バリバリのメンツが揃うのに対して
陽運寺は新宿二丁目カフエー事業協同組合
荒木町三業地 大木戸三業地と
往年の花街色街の名前が並ぶ
芸妓や売春婦が
戯れに怪談を語ったりしたのだろうか

歌舞伎にとどまらず
昭和30年代から四谷怪談は映画になったり
漫画になったりドラマになったりと
ますますメジャーになるお岩さん
四谷三丁目交差点のスーパー丸正には
お岩水かけ観音なんてぇのが登場
お岩さん詣でが客引きになる時代があったのかしら
もはや何に対する崇拝なのかさっぱりわからない状態

四谷鮫島橋にあった田宮家菩提寺の妙行寺
お岩さんのお墓もちゃんとある
とげぬき地蔵への対抗だろうか
明治42年に巣鴨に移転
周辺をお岩通り商店会と名付けるほど
お岩さん誘致に地元の人は熱狂したようだ

お岩さんのお墓を訪ねてみた
以前はお墓の写真には
必ずお岩さんが写ると言われてたらしいが
さすがに昨今のデジカメには
お岩さんも太刀打ちできないだろうと
高を括ってお墓の前で電源を入れると
SDカードが読めませんとエラーメッセージが
お岩さんはなかなかにいたずら好きのようだ
かわいいじゃねぇか
なんとか撮影は出来
帰って写真を確認
えっ
こ、こいつは公開できねぇな



於岩稲荷田宮神社
東京都新宿区左門町17

於岩稲荷陽運寺
東京都新宿区左門町18


於岩稲荷田宮神社
東京都中央区新川2-25-11


お岩水かけ観音
東京都新宿区四谷3-12スーパー丸正



お岩さんの墓
東京都豊島区西巣鴨4-8-28長徳山妙行寺