石浜神社2018年02月04日 00時01分12秒


崩れ落ちた屋根と壁に
血のような夕日が刺す
泥濘の中に横たわる男
死体から衣服を剥ぎ取る非人達
城は落ちた

怨霊に怯え続けた聖武天皇は
やたらと都を遷したり
大仏を造らせたりと
チキン野郎の気紛れな思いつきに
無数の人々が翻弄されていく
さらに聖武天皇は勅願といって
各地に国分寺や神明宮を建てさせたりもした

隅田川の西岸に建つ石浜神社も
そんな神明宮の一つだ
この周辺に目をやると
南千住から北千住にかけて
いくつもスサノオを祀る神社がある
恐らく出雲系の人々が古くから居住し
豪族化していたのだろう
そしてそんな土地故に
神明宮建立の地に
選ばれたのだと考えられる
ひょっとすると古墳でもあって
聖地であったのかもしれない
根拠はないが
征服者の常套であろう

長い長い時間が経ち
日本中にきな臭さが漂い始める
この地にいた江戸氏の一族
石浜氏が神明宮近傍に城を構える
戦乱の世となった後は
幾度か合戦の地となり
幾筋もの血が流れた

武蔵野を跋扈した武士に加え
地元の有力百姓が領主などと
主従関係を結んだ地侍が登場する
もう毎日が戦だ
何が何だかわからないが
戦いは始まり
何が何だかわからないが
死んでいく
そんな人が何万といたに違いない

決して歴史に名前など残らない人々
時代は変われど
何が何だかわからぬまま始まり
何が何だかわからぬまま終わるのは
いつの世でもまた一緒の事
勝つか負けるかわからないが
それでもその瞬間
昔のサムライも日本兵も
今の君も僕も必死だろ
チキン野郎の思いつきに
翻弄されたとしても
サムライアタックで
蹴散らしてやれ

「ああ戦いにこだわって敗れゆく定めだとしても
移ろうこの世間にゃズレてる方がいい」
(「ズレてる方がいい」エレファントカシマシ)

石浜神社

石浜神社

石浜神社

石浜神社
東京都荒川区南千住3-28-58

芝大神宮2017年08月13日 16時07分05秒


東京十社という企画モノがある
各社に可愛らしい小さな絵馬が用意されていて
集めて歩くのもまた一興
神社ビギナーにお薦めの企画である

だが我々はそれに満足していてはいけない
そこにはきっと
秘された意味や意図が横たわっている
権力闘争の歴史
人民統治のシステム
それを知らずして
この日本という国の
立ち位置は定まらないだろう

今日見上げる我々の頭の上で
北朝鮮とアメリカの
ガキのような口喧嘩が続いている
ミサイルが通り過ぎるのを
ただ口を開けて眺めているつもりか

役割を引き受けたのなら
問題を自分のものとしてしっかり抱えろ
誰かの原稿を朗読するのではなく
己の頭で考えろ
出来ないのであれば
黙って去れ

東京十社はそもそも
明治天皇が東京奠都にあたり
准勅祭神社として定めたものだという
東京の鎮護と
万民の平安を祈願されたという

もともとの江戸ッ子や氏子にとっては
ウチとこの神さんに何やねん
まあ箔がつくわなあくらいなもので
それ程の意味合いも感じられず
かと言って御朱印集めたりブログ書いたりする
暇な奴がいる時代でもない訳だ
何れにしても
この十社の設定は決して
万民のために意図されたものではない

考えられることは
所縁のない地に乗り込んでくる天皇の
心中の恐怖だ

明治天皇がこの十社を定める前段で
大宮の氷川神社の例大祭を勅祭に定めている
氷川神社の祭神は言うまでもなく
スサノオだ
もう我々は
初代天皇である神武天皇
それ以前に
日本を支配していた王がいたことを知っている
王の名はニギハヤヒ
そしてその父親がスサノオだ
その支配は
遠く関東の地までも及んでいた
関東一円に分布する
夥しい数の
スサノオを祀る神社の存在がその証拠だ

所縁のない地で
引っ繰り返った世に
天皇の国家を築くという役割
最も恐れたのは
恨みを伴って死んでいった者達の怨霊だ
王権を奪われたスサノオ始め出雲系の神々
長いこと関東の地に鎮座してきた怨霊達は
新参の王様を簡単に受け入れる筈がない
明治天皇は
この地の怨霊を鎮めるのに躍起になった
そして同じ意図で十社を選んだ
というのが真実ではなかろうか

天皇崇拝を民衆に浸透させる意図
というのも考えられるが
政府が神仏分離や御影配布など
政策的に実行するのには
もう少し時間が必要だった筈で
事実この十社の准勅祭社は
わずか2年で廃止となっている
その後政府の施策にシフトしたということだろう
やはりその当初は
怨霊鎮めの意味合いであったと考えたい

その視点で東京十社を見てみる
赤坂氷川神社(スサノオ)
根津神社(スサノオ)などはわかりやすい
神田明神は関東最大の怨霊である将門がいるし
大国主も鎮座

芝大神宮は天照大神と豊受大神
伊勢神宮の神であり
天皇家の祖神だ
アマテラスは明治天皇に
しっかりやんなさいとエールを送るでしょう
って、あれ?
いきなり怨霊鎮めのロジックが破綻してしまった
仮説が単なる妄想に終わりそうだが
長くなったので続きは次回に

芝大神宮

芝大神宮

芝大神宮
東京都港区芝大門1-12-7

大江神社、久保神社、河堀稲生神社〜見付かつた、何が、永遠が22015年08月08日 15時59分52秒


もう少し四天王寺七宮を辿ってみよう
大江神社は四天王寺の西に位置し
祭神に豊受大神を祀る
トヨウケヒメといえば
アマテラスに食物の世話をする女神である

久保神社は四天王寺の東に位置する
祭神は天照大神だ
ここで
今やすっかり神社マニアの素敵な貴女なら
ピンと来る筈
あの伊勢神宮の外宮と内宮の配置が
四天王寺を挟んで存在しているのだ
これは何を意味するのだろう

聖徳太子が建立したという四天王寺
まだ新興の宗教であった仏教を
国政に取り入れる先駆けとなった寺院だ
その寺を守護するように
神道のツートップが配置される
お釈迦様もきっと驚愕する
なんとも日本的な宗教感覚

久保神社から南へ下ると
河堀稲生神社がある
ここには前回の堀口神社と同様
崇峻天皇が祀られている
蘇我氏の権力の下で建てられた四天王寺の周りに
蘇我氏への怨みのパワーを配置する
その意味とは何だろう

試みに各社を線で繋いでみる


結界を張っているのだろうか
トヨウケヒメ〜アマテラスラインは
四天王寺を貫くが
今ひとつ
しっくりくるものではない

さて
七宮というくらいだから
残り三社がある訳だが
残念ながら明治後期に大江神社へ合祀され
今は残っていない
神社と祭神と場所は以下の通り

上之宮神社 欽明天皇 上之宮町
小儀神社 スサノオ 四天王寺東門前
土塔神社 スサノオ 四天王寺南門前

欽明天皇は聖徳太子の祖父にあたり
仏教が渡来した頃の天皇だったそうな
仏教の拠点をこれだけの神社が取り囲む
今やすっかり神社マニアのイカした貴殿であれば
この意味するところをすでに
考え始めていることだろう

その鍵はやはり四天王寺にあった

つづく

大江神社

大江神社
大阪府大阪市天王寺区夕陽丘町5-40

久保神社

久保神社
大阪府大阪市天王寺区勝山2-5-14

河堀稲生神社

河堀稲生神社
大阪府大阪市天王寺区大道3-7-3

於岩稲荷田宮神社2014年10月26日 14時28分53秒


田宮伊右衛門は
お岩の醜い顔が嫌だった
頑固な性格が嫌いだった
妾を孕ませてしまった近所の与力と結託し
お岩を追い出すことにした
外で金を使いまくり
家で暴力を振るう夫を演じた
お岩は出て行った
すぐに与力の妾を妻にした

いつしか話はお岩に伝わり
お岩は発狂した

四代目鶴屋南北が1852年に
「東海道四谷怪談」を上演する以前から
お岩さんの怪談は江戸の町に流布していた

田宮家の屋敷神であった稲荷社が
いつしかお岩稲荷と呼ばれ
現在に伝わっている
神社の由緒では
お岩さんは夫の伊右衛門と仲睦まじい夫婦で
真面目に奉公し傾いた田宮家を救った
それもこれもこの稲荷社を熱く信奉していたからで
その評判で多くの人が集まるようになった
とある

関係者には申し訳ないが
稲荷社にご利益があっただけで
お岩さんご本人を田宮於岩命として
合祀する理由がわからない
ここはやはり
強烈な怨みを持って死んでいった怨霊を
神様として崇めそのパワーにあやかるという
日本古来からの怨霊信仰説を唱えたい
真実は永遠にわからないだろうが
怪談を形成する程のなんらかの事象があり
怨みを持って死んでいった憐れな女を
神様として合祀した
と考えるのが妥当ではないだろうか

いずれにしろ
「東海道四谷怪談」の大ヒットにより
お岩さんは伝説になった
そして21世紀の今日に至ってもまだ
その伝説は増殖を繰り返している
面的な拡がりと経過した長大な時間は
現実を侵食すべく虚構を醸成する

四谷の於岩稲荷田宮神社と同じ名前の神社が
中央区新川にある
明治12年の四谷左門町の火事で
ここに移されたらしい
芝居小屋の近くに置きたいと
初代市川左団次が願い出たとか
昭和20年には空襲により社殿は焼失
戦後に再建され現在に至る

戦後の混乱に乗じたのか
四谷の田宮神社旧跡前の焼け野原に
於岩稲荷立正殿日蓮宗陽運寺という寺が建った
お岩さんの像を祀っているという
追いかけるように昭和27年
元の場所に田宮神社が再建された
二つの社寺は道を挟んで向かい合い
お互いに赤い幟でお岩稲荷はここですよと主張する

玉垣の寄進者が面白い
田宮神社の方は歌舞伎座 明治座 演舞場と
現役バリバリのメンツが揃うのに対して
陽運寺は新宿二丁目カフエー事業協同組合
荒木町三業地 大木戸三業地と
往年の花街色街の名前が並ぶ
芸妓や売春婦が
戯れに怪談を語ったりしたのだろうか

歌舞伎にとどまらず
昭和30年代から四谷怪談は映画になったり
漫画になったりドラマになったりと
ますますメジャーになるお岩さん
四谷三丁目交差点のスーパー丸正には
お岩水かけ観音なんてぇのが登場
お岩さん詣でが客引きになる時代があったのかしら
もはや何に対する崇拝なのかさっぱりわからない状態

四谷鮫島橋にあった田宮家菩提寺の妙行寺
お岩さんのお墓もちゃんとある
とげぬき地蔵への対抗だろうか
明治42年に巣鴨に移転
周辺をお岩通り商店会と名付けるほど
お岩さん誘致に地元の人は熱狂したようだ

お岩さんのお墓を訪ねてみた
以前はお墓の写真には
必ずお岩さんが写ると言われてたらしいが
さすがに昨今のデジカメには
お岩さんも太刀打ちできないだろうと
高を括ってお墓の前で電源を入れると
SDカードが読めませんとエラーメッセージが
お岩さんはなかなかにいたずら好きのようだ
かわいいじゃねぇか
なんとか撮影は出来
帰って写真を確認
えっ
こ、こいつは公開できねぇな



於岩稲荷田宮神社
東京都新宿区左門町17

於岩稲荷陽運寺
東京都新宿区左門町18


於岩稲荷田宮神社
東京都中央区新川2-25-11


お岩水かけ観音
東京都新宿区四谷3-12スーパー丸正



お岩さんの墓
東京都豊島区西巣鴨4-8-28長徳山妙行寺

穴守稲荷神社2014年07月12日 18時42分29秒

進駐軍が手に銃を持ち
出て行けと
48時間以内に出て行けと
赤ん坊からじいちゃんまで有無も言わせず
布団やら箪笥やら運び出し
海老取川を渡った

住み慣れた家は
大勢の人夫によって一気に破壊される
あいつ等も日本人のくせに
穴守稲荷神社も破壊された
門前の赤鳥居だけが
何故か残された

1945年9月13日
GHQは羽田の東京飛行場の引き渡しを申し入れ
海老取川以東の住民に対し
48時間以内の退去を命じた
約1200世帯、3000人余が住み慣れた家を離れた

あなたは此処に住んではいけません
すぐに出て行ってくださいと言われるなんて
今の僕等に想像できるだろうか
しかし現在
東京電力福島第一原子力発電所事故により
避難した人は13万人
住み慣れた家を離れた人がいる現実

赤鳥居はその後撤去を試みるも
ロープが切れて作業員が死ぬなど
不思議な事故が相次ぎ
長い間空港敷地内に
場違いにポツンと残され
ようやく1999年に移設が行われた

弁天橋の袂に移設された赤鳥居には
平和と書かれた扁額が掲げられている
俺は正しいと胸を張って
平和を訴えるその様はなんだか
あざとくて
いただけない

日本を訪れた外国人が
空港の駐車場に何故だか立ってる鳥居を見て
ホワッツザット?などと問うた時に
実はカクカクシカジカと説明する事で
色んな事を考えてもらえると思うのだが

これでは
どこぞの国が建てた従軍慰安婦の銅像と変わらない
動かすことが出来ないのですと
不気味さと不可解さを孕んで
ただそこに残していた方が
智慧あるやり方だったと思うのだが




穴守稲荷神社
東京都大田区羽田5-2-7