簸川神社2020年02月24日 14時10分10秒


退屈だ
どうしようもなく
退屈でしょうがない
だからと言って
毎日忙しいのだ
いつも何かに煽られ駆り立てられ
誰かに何かに奪われた時間
だとすれば
もう何も考えない方が
幸せに生きれるということなのか

新型コロナウイルスの猛威が
世界中を襲っている
日に日に感染者が増大し続ける
ほんの一週間前を思い出してみよう
なんだか遠い国の話だと
呑気に構えていたのではなかろうか

各地ではイベントの中止が相次ぐ
不特定多数の人間が
狭いエリアに密集するのだから
感染のリスクが高いというわけだ

思うのは
やたらとイベントって開催されていたのだなあ
ということだ
オリンピックや東京マラソンならわかるが
サツマイモ祭りとかゆるキャラの誕生日とか
今やらなくてもいいじゃんっていうのが
目白押しなわけだ
こんなのが一年中通して
あちらこちらで行われている
市とか町とか行政主催のも非常に多い
やる方も忙しくてしょうがないだろうな

感染拡大を防ぐには
人と人の接触の機会を減らすしかなく
国は外出禁止令や戒厳令を出して
外出者を警察官や自衛官が
厳しく取り締まるくらいの
過激な施策を
初期には取るべきだったのかもしれない

さてそんな中
我々は家でじっとしているのを強いられるわけだが
なにせ今まで空き時間にはイベントを探して
ぶち込むのが日常になっているものだから
急に何をしていいかわからんなんて人が出てくる
頭が切り替えられなくて私は彼等とは違うのよと
いそいそとお粧しして人混みに出かけていく人もいる

暇とは何もすることのない
する必要のない時間を指している
退屈とは何かをしたいのにできないという
感情や気分を指している

暇じゃないが退屈な時がある
暇だけど退屈ではない時がある

立場上や形式的に会議などに呼ばれ
つまらない報告を延々聞かされる時などが
暇じゃないが退屈な時で
だけど自ら進んでそんなイベントを
ぶち込んで満足しているのが
我々の日常ではないだろうか

暇でもないし退屈でもない時は
そりゃあ仕事は忙しいけど
達成感やら充実感やらがあって
これはとてもいい状態

暇だし退屈な時は
もう監獄生活か入院生活
みたいなもんだろうか

暇じゃないが退屈な時が
どうにも厄介なものだ
ということがわかってきた
あまりにも我々は今まで
暇というものに
ちゃんと向き合ってこなかったのかもしれない
回避すべきは暇ではなく
退屈という気分だったのだ

暇だけど退屈ではない時を
さあどうやって獲得しようか

文京区千石にある簸川神社には
素盞雄尊スサノオが祀られている

1876年にドイツのコッホによって
感染症が病原性細菌によって起こることを
提唱するまで
疫病は得体の知れない何かが
取り憑いたり
得体の知れない力によって
命まで奪っていくものと考えられていた

スサノオと同一視されていたのが牛頭天王
京都の八坂神社などに祀られているが
この牛頭天王が疫病をもたらし
またその強い力で疫病を治めるものと
信じられていた
得体の知れない何かが迫る恐怖に
人々は恐れるしかなかっただろう
今でもウイルスの仕業とは教えられても
目に見えない得体の知れないものが迫ってくる恐怖は
全く同じなのかも知れない
加えれば
退屈も
得体の知れない何かが迫ってくる
恐怖であるのかも知れない

簸川神社

簸川神社

簸川神社

簸川神社
東京都文京区千石2-10-10


澤蔵司稲荷2014年08月24日 15時00分05秒

夢を見た
あいつは狐だったのか
優秀な男であった
気のいい
真面目な男であった

蕎麦屋の親父もこれで納得するだろう
あいつの払った銭が
気付くと葉っぱになってたなんて
これで諦めもつくだろう

狐のくせに
仏法を学びたいなんて
頗る愉快な男であった

稲荷神社は全国に約3000社
境内社など加えると32000社を超えると言われ
さらに屋敷神、山野や道端の小祠を加えるとなると
稲荷神社の数はもう誰にも把握不可能だ

精神異常か鬱病かは知らないが
江戸時代には狐憑きが現れるたびに
稲荷社を建てたなんていう話だ

明治政府の神仏分離令によって
怪しげな信仰形態は悉く排斥される
智慧ある者達はその神様を
なんちゃら稲荷と改名したり
祭神に倉稲魂命ウカノミタマノミコトを迎え入れ
生き残りを謀ったりした

伏見稲荷のように神道の正当を誇るものもあれば
豊川稲荷を始めとする仏教寺院としての稲荷もある
祭神も倉稲魂命だけでなく
保食神や豊受姫が同一視される説もあり
しまいには狐が神様になってたりと
稲荷信仰の全容はもう誰にも把握が不可能だ

ここ澤蔵司稲荷は伝通院の境内社であった
そのため境内には菩薩像が祀られたりと
柏手も憚られるほど仏教色が濃い

だけど神道だの仏教だのと
やたら分類したがるのは
高度経済成長からバブルを経て
デフレとコンプライアンスですっかり
脳が萎縮してしまった現代人の悪い癖で
ここに来ると
昔の人の信仰のカタチが見えるような気がする

社の裏手は一段低い森になっている
足を踏み入れると
真夏の都会にいるとは思えない程
ひんやりとして薄暗い
森の中には幾つもの小祠が並び
中でもひと際目立つ霊窟と書かれた社がある
小さな無数の狐が祀られていて
恐らくは狐の住む穴が
信仰の対象になったものなのだろう
東京はほんの少し前まで狐の住む街だったのだ

学僧となった狐は夜な夜な
蕎麦屋で天ぷらソバを食べていたという
その蕎麦屋は今も営業中だ
狐の魂は近くのムクノキに宿ったという
その木は戦火をくぐり抜け現存している
車道敷設の際には木を除けて道を通したという

きっと今でも狐達は人間の社会に潜り込んで
何食わぬ顔で天ぷらソバなど喰ってるに違いない
たまにどうしても言葉の通じない輩がいて
こいつ人間か?と思う時が誰にでもあると思うが
奴等は案外
調子に乗った狐なのかもしれないぜ




澤蔵司稲荷
東京都文京区小石川3-17-12

金刀比羅宮東京分社2014年07月03日 22時00分48秒

命を削って書き上げたのに
大乗経の写本は送り返された
落胆と怒りが崇徳上皇の身体に溢れる
遂にはその舌先を力の限り喰い切り
滴り落ちる血潮で
大乗経の奥に呪詛の誓文を書き付ける

我は日本国の大魔縁となる
この経を魔道に回向す

手足の爪は長々と伸び
髪は銀の針を突っ立てたよう
目はとびの目つきに似
柿の衣を羽織っている
怨念の塊となった上皇は
生きながら天狗になったと言われた

暑い夏の日
上皇は死んだ
都からの勅命が届くまで二十日間
屍体は腐敗を防ぐため泉に沈められた

柩が運ばれる途中
雷鳴とともに激しい雨が降る
濡れた柩からは上皇の血が滴り落ち
柩を置いた石が深紅に染まった

江戸時代に爆発的にブームとなった金毘羅参り
海上交通の守り神として有名だが
その起源は諸説あり定かではない
象頭山を中心とした山岳信仰から始まり
修験道や密教が融合していったらしい
そこに仏教の神が習合し
金毘羅大権現と呼ばれるようになる
その後さらに日本最大級の怨霊である
崇徳天皇が合祀され
独特の神格が形成されていく

得体は知れぬが
何か神々しいもの
そして強烈な怨霊の力
人々は惹かれ救いを求め祈り続ける

今年は崇徳帝の850年忌にあたるという
このところの異常なほどの突然の雷雨などは
俺を思い出せという崇徳帝の仕業
なんてことはねえか



金刀比羅宮東京分社
東京都文京区本郷1-33-17

根津神社2014年04月26日 18時15分25秒

革命を目指したのか
熱情とヒロイズムの噴出か
時代の空気だったのか
一体何がしたかったのか

後から来た僕等は
まんまと乗せられてしまった
余計なことは考えるなと全員が
独りぼっちにさせられた

何処へ行ったのですか
こっそりあの頃を懐かしんでるだけですか
若気の至りと酔っ払って寝てしまうだけですか
何も変えられない変わらないと
諦めの日々を過ごしてきたのですか

誰か総括をしてくれないか
こういうことだったんだよと
だからこうなってしまったんだよと
だからこうなるんだよと

僕等の後から来る子供達は皆
場の正解を探し空気を読むことにだけ長け
小さく小さくまとまっていく
きっと
ますます気持ち悪い世の中になっていく

東大の入試が中止になった1969年も
根津神社のつつじはきれいに咲いていたろうか
神社を参拝する人々の顔は穏やかだったろうか

「闇の中を子供の群れが
 松明を片手に進む
 百、二百、三百と死に場所を求めて
 誰一人声も発てずに」
(「裸にされた街」PANTA)




根津神社
東京都文京区根津1-28-9

妻恋神社2013年07月28日 16時35分01秒

荒れ狂う波頭の前に
日本武尊は為す術もなく
船は方向を失い
最早これまでかと項垂れる傍ら
妾妻の弟橘媛オトタチバナヒメが
これはきっと海神の仕業
私がこの嵐を沈めます
と自ら海へ身を投ずる

蝦夷の地に
平定の証として
日本武尊を祀る神社が
次々と建っていく
支配される反発を
抑制する手段の一つとして
悲劇のヒーローの物語は
有効だったのかもしれない

美しい物語に因み
いつしか
妻恋神社と呼ばれ
江戸時代には関東惣社を名乗り
大いに賑わったという
単身赴任の藩士のお父さんなども
恐らくは置いてきた妻のことを
思い出したりしたに違いない

今は何故だか
周りをラブホテルに囲まれ
日曜の昼間だというのに
ひっきりなしに駐車場に
車が出入りする以外は
参道を歩く人などほとんどいない




妻恋神社
東京都文京区湯島3-2-6