於岩稲荷田宮神社2014年10月26日 14時28分53秒


田宮伊右衛門は
お岩の醜い顔が嫌だった
頑固な性格が嫌いだった
妾を孕ませてしまった近所の与力と結託し
お岩を追い出すことにした
外で金を使いまくり
家で暴力を振るう夫を演じた
お岩は出て行った
すぐに与力の妾を妻にした

いつしか話はお岩に伝わり
お岩は発狂した

四代目鶴屋南北が1852年に
「東海道四谷怪談」を上演する以前から
お岩さんの怪談は江戸の町に流布していた

田宮家の屋敷神であった稲荷社が
いつしかお岩稲荷と呼ばれ
現在に伝わっている
神社の由緒では
お岩さんは夫の伊右衛門と仲睦まじい夫婦で
真面目に奉公し傾いた田宮家を救った
それもこれもこの稲荷社を熱く信奉していたからで
その評判で多くの人が集まるようになった
とある

関係者には申し訳ないが
稲荷社にご利益があっただけで
お岩さんご本人を田宮於岩命として
合祀する理由がわからない
ここはやはり
強烈な怨みを持って死んでいった怨霊を
神様として崇めそのパワーにあやかるという
日本古来からの怨霊信仰説を唱えたい
真実は永遠にわからないだろうが
怪談を形成する程のなんらかの事象があり
怨みを持って死んでいった憐れな女を
神様として合祀した
と考えるのが妥当ではないだろうか

いずれにしろ
「東海道四谷怪談」の大ヒットにより
お岩さんは伝説になった
そして21世紀の今日に至ってもまだ
その伝説は増殖を繰り返している
面的な拡がりと経過した長大な時間は
現実を侵食すべく虚構を醸成する

四谷の於岩稲荷田宮神社と同じ名前の神社が
中央区新川にある
明治12年の四谷左門町の火事で
ここに移されたらしい
芝居小屋の近くに置きたいと
初代市川左団次が願い出たとか
昭和20年には空襲により社殿は焼失
戦後に再建され現在に至る

戦後の混乱に乗じたのか
四谷の田宮神社旧跡前の焼け野原に
於岩稲荷立正殿日蓮宗陽運寺という寺が建った
お岩さんの像を祀っているという
追いかけるように昭和27年
元の場所に田宮神社が再建された
二つの社寺は道を挟んで向かい合い
お互いに赤い幟でお岩稲荷はここですよと主張する

玉垣の寄進者が面白い
田宮神社の方は歌舞伎座 明治座 演舞場と
現役バリバリのメンツが揃うのに対して
陽運寺は新宿二丁目カフエー事業協同組合
荒木町三業地 大木戸三業地と
往年の花街色街の名前が並ぶ
芸妓や売春婦が
戯れに怪談を語ったりしたのだろうか

歌舞伎にとどまらず
昭和30年代から四谷怪談は映画になったり
漫画になったりドラマになったりと
ますますメジャーになるお岩さん
四谷三丁目交差点のスーパー丸正には
お岩水かけ観音なんてぇのが登場
お岩さん詣でが客引きになる時代があったのかしら
もはや何に対する崇拝なのかさっぱりわからない状態

四谷鮫島橋にあった田宮家菩提寺の妙行寺
お岩さんのお墓もちゃんとある
とげぬき地蔵への対抗だろうか
明治42年に巣鴨に移転
周辺をお岩通り商店会と名付けるほど
お岩さん誘致に地元の人は熱狂したようだ

お岩さんのお墓を訪ねてみた
以前はお墓の写真には
必ずお岩さんが写ると言われてたらしいが
さすがに昨今のデジカメには
お岩さんも太刀打ちできないだろうと
高を括ってお墓の前で電源を入れると
SDカードが読めませんとエラーメッセージが
お岩さんはなかなかにいたずら好きのようだ
かわいいじゃねぇか
なんとか撮影は出来
帰って写真を確認
えっ
こ、こいつは公開できねぇな



於岩稲荷田宮神社
東京都新宿区左門町17

於岩稲荷陽運寺
東京都新宿区左門町18


於岩稲荷田宮神社
東京都中央区新川2-25-11


お岩水かけ観音
東京都新宿区四谷3-12スーパー丸正



お岩さんの墓
東京都豊島区西巣鴨4-8-28長徳山妙行寺