澤蔵司稲荷2014年08月24日 15時00分05秒

夢を見た
あいつは狐だったのか
優秀な男であった
気のいい
真面目な男であった

蕎麦屋の親父もこれで納得するだろう
あいつの払った銭が
気付くと葉っぱになってたなんて
これで諦めもつくだろう

狐のくせに
仏法を学びたいなんて
頗る愉快な男であった

稲荷神社は全国に約3000社
境内社など加えると32000社を超えると言われ
さらに屋敷神、山野や道端の小祠を加えるとなると
稲荷神社の数はもう誰にも把握不可能だ

精神異常か鬱病かは知らないが
江戸時代には狐憑きが現れるたびに
稲荷社を建てたなんていう話だ

明治政府の神仏分離令によって
怪しげな信仰形態は悉く排斥される
智慧ある者達はその神様を
なんちゃら稲荷と改名したり
祭神に倉稲魂命ウカノミタマノミコトを迎え入れ
生き残りを謀ったりした

伏見稲荷のように神道の正当を誇るものもあれば
豊川稲荷を始めとする仏教寺院としての稲荷もある
祭神も倉稲魂命だけでなく
保食神や豊受姫が同一視される説もあり
しまいには狐が神様になってたりと
稲荷信仰の全容はもう誰にも把握が不可能だ

ここ澤蔵司稲荷は伝通院の境内社であった
そのため境内には菩薩像が祀られたりと
柏手も憚られるほど仏教色が濃い

だけど神道だの仏教だのと
やたら分類したがるのは
高度経済成長からバブルを経て
デフレとコンプライアンスですっかり
脳が萎縮してしまった現代人の悪い癖で
ここに来ると
昔の人の信仰のカタチが見えるような気がする

社の裏手は一段低い森になっている
足を踏み入れると
真夏の都会にいるとは思えない程
ひんやりとして薄暗い
森の中には幾つもの小祠が並び
中でもひと際目立つ霊窟と書かれた社がある
小さな無数の狐が祀られていて
恐らくは狐の住む穴が
信仰の対象になったものなのだろう
東京はほんの少し前まで狐の住む街だったのだ

学僧となった狐は夜な夜な
蕎麦屋で天ぷらソバを食べていたという
その蕎麦屋は今も営業中だ
狐の魂は近くのムクノキに宿ったという
その木は戦火をくぐり抜け現存している
車道敷設の際には木を除けて道を通したという

きっと今でも狐達は人間の社会に潜り込んで
何食わぬ顔で天ぷらソバなど喰ってるに違いない
たまにどうしても言葉の通じない輩がいて
こいつ人間か?と思う時が誰にでもあると思うが
奴等は案外
調子に乗った狐なのかもしれないぜ




澤蔵司稲荷
東京都文京区小石川3-17-12