加賀美稲荷〜鳥越幻影② ― 2013年07月02日 21時56分30秒
家康が江戸入城して間もない頃
馬が脚を負傷したので
弾左衛門を呼び出し
猿飼を手配するよう申しつけた
今でこそ猿回しなんて
思い出したように時々テレビで映される
どおってことない余興に過ぎないが
昔は馬の脚を治す祈祷の意味を持ち
猿飼は社会的、宗教的に
ある種のステータスが与えられていた
家康の下に連れて来られた猿飼の名は
加賀美太夫
彼はたくさんの猿と
刑場で死体の処理をする非人達と
彼等を支配する弾左衛門と
鳥越の地に住んでいた
江戸の古地図でもサルヤ丁の名前が確認できる
彼の住居跡を示すのだろう現在この地に
稲荷神社が居心地悪そうにポツンと建っている
狭い境内にいて
猿による呪術も
ケガレを扱う者への畏怖も
既に無効となった時代に
僕等はここで
何を見たらいいのだろう
馬が脚を負傷したので
弾左衛門を呼び出し
猿飼を手配するよう申しつけた
今でこそ猿回しなんて
思い出したように時々テレビで映される
どおってことない余興に過ぎないが
昔は馬の脚を治す祈祷の意味を持ち
猿飼は社会的、宗教的に
ある種のステータスが与えられていた
家康の下に連れて来られた猿飼の名は
加賀美太夫
彼はたくさんの猿と
刑場で死体の処理をする非人達と
彼等を支配する弾左衛門と
鳥越の地に住んでいた
江戸の古地図でもサルヤ丁の名前が確認できる
彼の住居跡を示すのだろう現在この地に
稲荷神社が居心地悪そうにポツンと建っている
狭い境内にいて
猿による呪術も
ケガレを扱う者への畏怖も
既に無効となった時代に
僕等はここで
何を見たらいいのだろう


加賀美久米森稲荷神社
東京都台東区浅草橋3-16
鳥越神社〜鳥越幻影③ ― 2013年07月05日 22時50分58秒
天慶三年(940年)二月
俵藤太秀郷(藤原秀郷)の放った矢が
将門のこめかみを貫いた
新皇を宣言し朝敵とされた平将門の首は
その後京都へと運ばれる
都で晒された将門の首は しかし
俺を殺すことなど出来るかと喋り出し
突如豪快に嗤いながら東に向かって飛び始める
岐阜の辺りで一度射落とされるが
それでも負けない将門
関東の地で首は白鳥明神の上を飛び越える
飛び越えたので後、鳥越明神と呼ばれるようになる
首が着地したのが現在の大手町1丁目
首塚のある場所である
体はバラバラにされ鎧や兜などと各地に埋められる
そしてここ鳥越神社には
将門の手が埋まっている
鳥越神社の祭神は日本武尊と家康と
藤原氏の祖神である天児屋命アメノコヤネノミコト
将門の名前は無い
そして
得体の知れない伝説もまた
オフィシャルな由緒書きには
書かれていない
俵藤太秀郷(藤原秀郷)の放った矢が
将門のこめかみを貫いた
新皇を宣言し朝敵とされた平将門の首は
その後京都へと運ばれる
都で晒された将門の首は しかし
俺を殺すことなど出来るかと喋り出し
突如豪快に嗤いながら東に向かって飛び始める
岐阜の辺りで一度射落とされるが
それでも負けない将門
関東の地で首は白鳥明神の上を飛び越える
飛び越えたので後、鳥越明神と呼ばれるようになる
首が着地したのが現在の大手町1丁目
首塚のある場所である
体はバラバラにされ鎧や兜などと各地に埋められる
そしてここ鳥越神社には
将門の手が埋まっている
鳥越神社の祭神は日本武尊と家康と
藤原氏の祖神である天児屋命アメノコヤネノミコト
将門の名前は無い
そして
得体の知れない伝説もまた
オフィシャルな由緒書きには
書かれていない


鳥越神社
東京都台東区鳥越2-4-1
第六天榊神社〜鳥越幻影④ ― 2013年07月07日 13時48分14秒
鳥越神社のある地は遠い過去
浅瀬に浮かぶ島であった
河が運ぶ土砂によって
周りが陸地となり
小高い丘が形成された
その丘にいつしか
日本武尊の東征の伝説とともに
三つの神社が置かれる
白鳥明神(鳥越神社)
熱田明神
そして第六天
日本武尊が第六天を祀ったという説もあるが
後世のこじつけであろう
とにかく江戸以前の住民に
熱烈に支持されていたことは確かだ
西からやってきた徳川幕府は
御蔵建設のため鳥越の丘を切り崩し
墨田川の岸を埋め立て
現在の日本橋あたりにいた弾左衛門と
その配下を鳥越に強制移住させる
さらに徳川の呪術師は
江戸城守護を目的に
平将門による結界を構築すべく
鳥越神社に将門の伝説を付与する
一方で第六天は蔵前に移されている
おそらく徳川の呪術師は
第六天のパワーを恐れたに違いない
あの織田信長が
我こそは第六天魔王なり
と豪語するほどの大魔王である
将門と同居させるなど何が起こるか想像もできない
その後
第六天は蔵前から柳橋へ移り
明治に榊神社と名を変え
現在の地に落ち着いたのは
昭和三年のことである
榊神社の紋は七曜紋
北斗七星を表しているらしい
平将門や千葉氏の九曜紋のバリエーションだという
鳥越神社の紋も同様の七曜紋
案外
隠された将門の伝説は
第六天とともに
ここに在るのかもしれない
浅瀬に浮かぶ島であった
河が運ぶ土砂によって
周りが陸地となり
小高い丘が形成された
その丘にいつしか
日本武尊の東征の伝説とともに
三つの神社が置かれる
白鳥明神(鳥越神社)
熱田明神
そして第六天
日本武尊が第六天を祀ったという説もあるが
後世のこじつけであろう
とにかく江戸以前の住民に
熱烈に支持されていたことは確かだ
西からやってきた徳川幕府は
御蔵建設のため鳥越の丘を切り崩し
墨田川の岸を埋め立て
現在の日本橋あたりにいた弾左衛門と
その配下を鳥越に強制移住させる
さらに徳川の呪術師は
江戸城守護を目的に
平将門による結界を構築すべく
鳥越神社に将門の伝説を付与する
一方で第六天は蔵前に移されている
おそらく徳川の呪術師は
第六天のパワーを恐れたに違いない
あの織田信長が
我こそは第六天魔王なり
と豪語するほどの大魔王である
将門と同居させるなど何が起こるか想像もできない
その後
第六天は蔵前から柳橋へ移り
明治に榊神社と名を変え
現在の地に落ち着いたのは
昭和三年のことである
榊神社の紋は七曜紋
北斗七星を表しているらしい
平将門や千葉氏の九曜紋のバリエーションだという
鳥越神社の紋も同様の七曜紋
案外
隠された将門の伝説は
第六天とともに
ここに在るのかもしれない



第六天榊神社
東京都台東区蔵前1-4-3
野見宿禰神社 ― 2013年07月07日 15時57分48秒
両国はお相撲さんの街
この街を訪れると
ポストに手紙を出しに行くお相撲さんや
花屋でお花を買って帰る途中のお相撲さんなど
テレビでは見られない日常のお相撲さん達を
見る事が出来る
そんな相撲の街両国に
相撲の神様が祀られた神社が在る
垂仁天皇の時代
当麻蹶速タギマノクエハヤという天下の力持ちが
俺より力のある奴と勝負がしてぇと豪語
出雲より野見宿禰ノミノスクネが
勝負のために招かれる
二人は向かい合い睨み合い
緊迫した空気が流れる中
角力は蹴り合いから始まり
野見宿禰が当麻蹶速のあばら骨を踏み砕き
さらには腰の骨を踏みくじいて
殺してしまう
勝者、野見宿禰は強さを認められ
その後天皇に仕えることとなる
野見宿禰は智慧者でもあった
当時天皇の系統の者が亡くなった場合
その墓に生きた人間を一緒に
多数生き埋めにする習わしがあった
ある時
生き埋めにされた人々は
なかなか死なず
昼夜泣き喚く声が続き
遂には死んで腐敗した死体を
犬や鳥が集まって食べるという
おぞましい状況となる
野見宿禰は
土で人や動物の形を造り
今後は生きた人の代わりに
陵墓に埋める事にしましょうと
天皇に進言する
埴輪を発明した野見宿禰の子孫は土師氏と呼ばれ
代々の天皇の喪葬を司る一族となる
両国は死者の街
江戸の大火では焼死者10万8千人が回向院に葬られ
関東大震災では横網公園(旧陸軍被服本廠)で
4万4千人が焼死
東京大空襲では焼夷弾が雨のように降り注いだ
死者は無念と怒りを抱いたまま
この両国の地で地霊となる
野見宿禰の末裔であるお相撲さんが
四股を踏み
土地の下で蠢いている
夥しいほどの地霊達を
抑えているのだ
この街を訪れると
ポストに手紙を出しに行くお相撲さんや
花屋でお花を買って帰る途中のお相撲さんなど
テレビでは見られない日常のお相撲さん達を
見る事が出来る
そんな相撲の街両国に
相撲の神様が祀られた神社が在る
垂仁天皇の時代
当麻蹶速タギマノクエハヤという天下の力持ちが
俺より力のある奴と勝負がしてぇと豪語
出雲より野見宿禰ノミノスクネが
勝負のために招かれる
二人は向かい合い睨み合い
緊迫した空気が流れる中
角力は蹴り合いから始まり
野見宿禰が当麻蹶速のあばら骨を踏み砕き
さらには腰の骨を踏みくじいて
殺してしまう
勝者、野見宿禰は強さを認められ
その後天皇に仕えることとなる
野見宿禰は智慧者でもあった
当時天皇の系統の者が亡くなった場合
その墓に生きた人間を一緒に
多数生き埋めにする習わしがあった
ある時
生き埋めにされた人々は
なかなか死なず
昼夜泣き喚く声が続き
遂には死んで腐敗した死体を
犬や鳥が集まって食べるという
おぞましい状況となる
野見宿禰は
土で人や動物の形を造り
今後は生きた人の代わりに
陵墓に埋める事にしましょうと
天皇に進言する
埴輪を発明した野見宿禰の子孫は土師氏と呼ばれ
代々の天皇の喪葬を司る一族となる
両国は死者の街
江戸の大火では焼死者10万8千人が回向院に葬られ
関東大震災では横網公園(旧陸軍被服本廠)で
4万4千人が焼死
東京大空襲では焼夷弾が雨のように降り注いだ
死者は無念と怒りを抱いたまま
この両国の地で地霊となる
野見宿禰の末裔であるお相撲さんが
四股を踏み
土地の下で蠢いている
夥しいほどの地霊達を
抑えているのだ



野見宿禰神社
東京都墨田区亀沢2-8-10
津の守弁財天 ― 2013年07月21日 16時58分50秒
石段を底の方へと
写真家は降りていく
擂鉢の底へ
エロスとタナトスを探して
写真家は降りていく
美濃国高須藩藩主、松平摂津守の上屋敷が
明治維新の後開放され
擂鉢状の地形の底に
溜まるように花街が形成された
擂鉢の底には
4mに及ぶ滝があり
池の畔の弁天様は
町人に人気があったのだろう藩主を偲び
津の守弁財天と呼ばれるようになる
男達もまた
花街を目指し降りていく
三味線の音と
白粉の匂いの溜まる
擂鉢の底へ
降りていく
酔狂の果てにも
欲は満たされることなく
擂鉢の底に溜まり続けるが
傍らに置かれた弁財天が
生から死への出口装置として機能し
人はその装置をくぐらないまでも
再び生きるということを
思い出すのかもしれない
無機的に計画された都市整備には
そんな出口装置が無い為に
人は出口を探して彷徨い
無理矢理こじあけた扉の向こうへ
行ってしまう
この町と同じ名前の天才写真家は
1枚の写真にエロスとタナトスを同時に焼き付ける
この町を写した
あの猥雑なノイズに満ちた被写体を探してみたが
擂鉢の底から見上げても
なんだか間の抜けた空が広がってるだけだ
写真家は降りていく
擂鉢の底へ
エロスとタナトスを探して
写真家は降りていく
美濃国高須藩藩主、松平摂津守の上屋敷が
明治維新の後開放され
擂鉢状の地形の底に
溜まるように花街が形成された
擂鉢の底には
4mに及ぶ滝があり
池の畔の弁天様は
町人に人気があったのだろう藩主を偲び
津の守弁財天と呼ばれるようになる
男達もまた
花街を目指し降りていく
三味線の音と
白粉の匂いの溜まる
擂鉢の底へ
降りていく
酔狂の果てにも
欲は満たされることなく
擂鉢の底に溜まり続けるが
傍らに置かれた弁財天が
生から死への出口装置として機能し
人はその装置をくぐらないまでも
再び生きるということを
思い出すのかもしれない
無機的に計画された都市整備には
そんな出口装置が無い為に
人は出口を探して彷徨い
無理矢理こじあけた扉の向こうへ
行ってしまう
この町と同じ名前の天才写真家は
1枚の写真にエロスとタナトスを同時に焼き付ける
この町を写した
あの猥雑なノイズに満ちた被写体を探してみたが
擂鉢の底から見上げても
なんだか間の抜けた空が広がってるだけだ




津の守弁財天
東京都新宿区荒木町10
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