吉原弁財天2013年06月01日 18時14分53秒

アタシは新吉原女子保険組合の事務員
オジサン達は厳ついけど優しいです
時々顔を出すオネエサン達はとても綺麗
一緒に餡蜜を食べたこともあります
でも昨日の大地震と大火事で全部なくなってしまった
アタシの机も帳簿もなくなってしまった
オネエサン達はみんな弁天池に飛び込んだの
九重ネエサンも吉里ネエサンも小花ネエサンも
みんな死んでしまった




吉原弁財天
東京都台東区千束3-22花園公園



芝浦妙法稲荷神社〜消えた三業地2013年06月01日 20時05分23秒

雨降る芝浦の地を歩く
他に人影もなく
低廉なコンクリートの建築群は
ただ無機質に整列を繰り返すのみ

そいつは唐突に出現する
紙のような空間をぶち破る巨大な岩石のように
真っ黒な雨雲の下
木造二階建ての堂々たる建築物が出現する

関東大震災後に発展した港湾機能
瓦斯会社や芝の字を冠する大企業の立地
輸入車を扱う新興産業といった一大ビジネス街と
まさに隣り合う
江戸時代からの遊興地の流れを継ぐ三業地

かつて街は酔客と美しい芸妓で溢れていたのに
戦後は客足が新橋や銀座へと流れていったのか
今はその名残を探すのも難しい
そんな中
空襲からも生き残った見番が
木造二階建ての堂々たる建築物が
現在も残されている奇跡

溜め息の出るような鋭角の瓦屋根は
ビニールシートで隠され
建物全体は金網で覆われてはいるが
玄関の迫力ある唐破風や彫刻や丸い玄関灯は
往時を偲ぶに充分だ

区の有形文化財になってるらしいが
公開したり何かに利用する気配もなく
明日にも崩落し取り壊される勢いだ
こいつは見ておかなければ後悔する
急げ

三業地の外れに
柘榴の木とともにあった小さなお稲荷さん
今は何故か頭上に釈迦像を配置
何でもありの日本人の信仰の象徴

このお稲荷さんのある東京ポートボウル裏には
バブルの象徴たるジュリアナ東京があった
俺を忘れるなと
かつての遊興の地であった土地の地霊が
あの喧噪と狂乱が忘れられず
もう一度とここに呼び寄せたのかもしれない



芝浦妙法稲荷神社
東京都港区芝浦1-13

白山神社2013年06月15日 23時39分28秒

死んでしまった君にもう一度会いたくて
悲しくてどうしようもなくて
でも
僕が弱虫だったんだね
伊弉諾尊イザナギノミコトは
変わり果てた妻へ最後の言葉をかける

その時現れるのが
菊理媛神ククリヒメノカミ
イザナギに言葉をかけ
イザナギはそれを褒める

その言葉は記されていない
ククリヒメもそれきり現れない

白山神社の祭神は
ククリヒメとイザナギ・イザナミ
石川県と岐阜県に跨がる白山への
山岳信仰がその母体だ

悲しい歴史と結びつけて語る学者や
安全な場所にいて勝手なことをほざく輩がいるが
いにしえの記紀の作者達のように
敢えて記さないという優しさを
現在の我々は持ち合わせてないのかもしれない

文京区の白山神社の境内は
ちょうど紫陽花が見頃
この時期だけ紫陽花で埋まる富士塚にも登れる
神社はいつも
人を選ばない優しさに溢れてる



白山神社
東京都文京区白山5-31-26

恵美須神社2013年06月16日 17時23分29秒


1887年(明治20年)日本麦酒醸造会社が設立
ヱビスビールは現在まで続いてる名ブランドだ
工場からビールを運搬するため品川から貨物線が敷設
恵比寿停留所となる
これが後にJR山手線となり恵比寿駅となる
周辺は恵比寿という町名が冠され
さらにヱビスに因んで
西宮神社から事代主命を勧請し恵美須神社となる

恵美須神社の由緒書きには
大昔の頃より天津神社(大六天様)と称し云々とある
ダイロクテン?!
明治政府が執拗に弾圧と排除をした
あの第六天がこんなビールの町にあったなんて!

もう1枚の由緒書きには祭神が記されている
①国常立神クニトコタチノカミ
②豊雲野神トヨクモノノカミ
③角杙神ツノグヒノカミ
④意富斗能地神オホトノヂノカミ
⑤伊邪那岐命イザナギノミコト
⑥伊邪那美命 イザナミノミコト
⑦事代主命コトシロヌシノミコト
の7柱の神様

①〜⑥は神世七代の神様が並んでいるが
丁寧に
面足尊オモダルノミコト
惶根尊カシコネノミコト
は外されている
さらには
西宮神社の祭神は蛭児命ヒルコノミコトである
明治の国学者は
えびす神や蛭児命といった神格を軽視し
事代主命に由緒を書き換える神社が続出したらしい

これは第六天の生き残りを賭けた戦略だ
明治政府の要求には逆らわず
ビールの町のイメージを纏い
第六代の祭神名を消すことで
実は第六天であると高らかに主張し
現代まで悠々と生き延びている

こんな頭のいい戦略家と
冷たいビールで乾杯したいものだ



恵美須神社
東京都渋谷区恵比寿西1丁目11番地

お玉稲荷〜あの娘はアイドル2013年06月22日 18時45分59秒

桜ヶ池の畔の茶店は繁盛した
この店の看板娘お玉
お玉を目当てにたくさんのリピーターが集う
会いに行けるアイドルに男達は夢中になった

茶店に看板娘を置くというビジネスモデルは
江戸時代に流行したらしい
店先で娘の姿を描いた手拭などのグッズを販売したり
店をプロデュースする経営コンサルタントも現れた

ある時お玉は二人の男に言い寄られ
これがまた二人ともイケメンで
ああどちらかを選ぶなんて出来ないわと
悩んだ挙げ句池に身を投げてしまった

お玉は伝説となり神となり
桜ヶ池はいつしかお玉が池と呼ばれ
土地造成で池は姿を消したのに
行政区画にもその名は無いのに
その土地は今でもお玉ヶ池と呼ばれてる

お玉ヶ池は秋葉原から程近い
垂れ流しの情報に飽きた時は
400年も名前を残したアイドルに
会いに行くのもまた一興


繁栄於玉稲荷神社
東京都千代田区岩本町2-5