富岡八幡宮2013年08月03日 16時04分39秒

大船団が新羅へと向かう
率いるのは女帝
神功皇后

長い髪を二つに結い上げ
猛々しくも右手の刀剣を新羅の方角へ向け
女帝は叫ぶ

進路を西へ!
金銀財宝に溢れる国がそこにある!
いざ、服属させるのだ!

戦いに勝利したならば
それは皆の功績である!
敗れた時は帝たる自分一人の罪である!

女帝のリーダーシップ溢れる檄に
群臣誰もが共鳴する

女帝は身籠っていた
戦いが終わるまで産まれ出てくるなと
股に石を挟み祈る

戦いに勝利した女帝は
筑紫国へ帰還
八幡神社の主祭神
誉田別命ホンダワケノミコト
後の応神天皇を産む

お腹の中で
お母さんと一緒に戦っていたのだろう
産まれた赤子の腕には
武具の跡がしっかりとついていた

八幡神は武神、戦の神である
仏教といち早く習合し
時の権力者や偽政者により
国家鎮護の神として崇め奉られた
つまり
民衆の個人的な願いなどは
聞き入れてもらえる筈もない

富岡八幡宮では三年に一度
大祭が挙行される
今や木場のダンナ衆もいなくなったのに
祭り好きの深川の人達は
俺たちの願いを聞いてくれよと
まだ日本という呼び方もない時代の伝説の武神を
巨大な神輿に載せて街を練り歩く




富岡八幡宮
東京都江東区富岡1-20-3

春日神社2013年08月04日 15時18分20秒

アマテラスを岩屋戸から出す時に
八咫鏡を差し出したのです
ニニギの御側について天孫降臨したのです
ほら
我々の祖神は神代の時代から天皇の側近なのです
偉いのです

春日神社の祭神は天児屋命アメノコヤネノミコト
藤原氏の祖神である

藤は自分で立つことができない植物
何かに寄りかからなければ生きていけない植物

トップを率先して奉り
奉ることで自らの地位を上げ
ナンバー2まで上り詰める生き方
だけどそんな生き方を
誰も否定できないだろう




春日神社
東京都港区三田2-13-9

住吉神社〜海人族の末裔①2013年08月24日 18時34分18秒

美しかった君はもういない
腐敗した肉体と汚穢に満ちた言葉を吐くあの女は
最早美しかった僕の妻ではない

服も身体もこんなに汚れてしまった
この海でならきっと
身体の汚れも
変わり果てた妻のことも
きれいに洗い流してくれるだろう

イザナギは海へ飛び込み一気に底へと潜る
その時
底で生まれたのが底筒男命ソコツツノオノミコト
中間で生まれたのが中筒男命ナカツツノオノミコト
水表で生まれたのが表筒男命ウワツツノオノミコト

この住吉三神は九州を拠点とした住吉海人族の祖神
新羅を征伐した神功皇后が大阪の地に
住吉神社の総本社を創建した
当時大阪の地は南北に突き出た半島であり
淀川が運ぶ土砂で出来た小さい島が幾つも並んでいた
どうやら小さい島ごとに海人族が住み着き
住吉三神を祀ったのだろう
幾つもの住吉神社の分布を見ると
今でも当時の大阪の海岸線が想像出来る

田蓑島もその一つ
住吉三神を祀る田蓑神社がある
天正年間、徳川家康が多田の廟へ参詣の折り
田蓑島の漁夫等が渡船を勤めた
その際、家康は地名を佃と改め
江戸へ下る際に村人34人を従わせた
後に幕府により干潟を賜り
故郷の名を取り佃島と定め
田蓑神社を分祀し佃島に住吉神社を建立する

田蓑神社のパンフレットには
佃島の漁民は全国何処でも漁をしてよし
税はいらないという特別のご褒美をいただき
本家である大阪の佃も愈々栄えました
人助けにより後々の村の繁栄がもたらされたのです
と締めくくられている

だが
まだ江戸幕府も開かれてない時代
武蔵の地は荒れた湿地にポツポツと村がある程度
親切にしてくれたから連れてってやるぜと言われて
ほいほい着いて行く奴がいるだろうか
あるいは無理矢理連れて行かれたのか
泣く泣く故郷を離れたのだろうか

鍵は
彼等は海人族の末裔である
ということだ



住吉神社
東京都中央区佃1-1-14


田蓑神社
大阪市西淀川区佃1-18-14

森稲荷神社〜海人族の末裔②2013年08月28日 22時06分34秒

海から糧を得
海と共に暮らし
リーダーが生まれ
ルールが求められ
いつしか幾つもの海人集団が形成されていく

中には暴力的に襲撃と略奪を繰り返す
海賊衆と呼ばれる輩や
陸上における武士団の出現と同様に
軍事的機能を持つ水軍と呼ばれる者達が輩出する

戦国の世となるにつれ
彼らは諸大名の配下として取り込まれ
平時は漁業に勤しみ
有事は海上の兵力として大いに活躍する

大阪の佃を拠点とした森一族は
家康の江戸入りの際
従い同行したことで知られている

森一族は単なる漁師ではなかった
大坂冬の陣、夏の陣において
軍船を漁船に仕立て
海上の偵察を行うなど
重要な戦力として徳川の為に働いている

徳川が江戸を拠点とするにあたり
江戸湾警護などの重要任務を
実績があり信用できる彼らに負わせたのだろう
表向きは佃煮を発明しただの
白魚を献上するだの
特権を与えられた漁師として歴史に登場するだけだが
そこから逆に
その任務の重さと隠密性を測ることができる

森一族の代表格は森孫右衛門という男だ
佃島の居宅のあった場所に
現在でも小さなお稲荷さんが残っている
彼は故郷から遠くはなれたこの地で
江戸の海が一望できるこの地で
一体何を見ただろう

東京の佃島周辺は明治時代から大規模な埋立が始まり
現在の月島から勝鬨に続く土地が形成されていく
私には
故郷を懐かしむ森一族の意向が
この埋立造成計画に
反映されているとしか思えない

驚くべきことに
東京湾に造られたその地形は
あの懐かしい大阪の佃の地と
まるで瓜二つなのだ

森稲荷神社
東京都中央区佃1-4-4

大阪市西淀川区佃あたり

東京都中央区佃あたり

深川住吉神社〜海人族の末裔③2013年08月31日 18時48分55秒

平和な時が続いている
もはや戦に駆出されることもない
将軍もすでに八代目
勇猛果敢であった祖先のことを
覚えている者も少ない

ようやく深川八幡門前の町屋建設の許可が下りた
当然、町名は佃町と付けよう
岡場所で流行る場所だ
陸のビジネスでも一発当ててやるぜ

江戸時代
深川は吉原に匹敵する一大遊里であった
遊女はあひると呼ばれた
別にアヒル口だった訳ではなく
船頭の隠語で二百のことをガァと言ったらしい
揚げ代四百文でガァガァで家鴨だそうだ

公許の吉原とは違い
格式に拘らない気風は
鯔背で御俠な後の辰巳芸者を誕生させる
明治、大正、昭和と遊里は隆盛を極め
バブルと共に完全に消滅する

有事の際の備えであったのに
いつまで待っても有事は訪れず
その機能の記憶も薄れていく
あとは時代と共に立ち居振る舞うしかない

全てが過ぎ去ったこの街に
海人族の末裔が建てた小さな住吉神社だけが残る
佃町の町名も今はない




住吉神社
東京都江東区牡丹3-12-2