讃岐稲荷神社2013年11月05日 23時36分34秒

願人坊主は参道に立ち
チャカポコチャカポコ木魚を叩く
幼子を背負った妻は
ベコベコベコベコ三味線を弾く
盲の老人に付き添う子供は
哀れな泣き真似で憐れみを誘う

増上寺や芝神明の参詣人を目当てに
怪しい芸で金銭や食物を乞う者達
新網町はそんな貧しい人々が住む町であった

維新の後
猛烈に発展する資本主義が
町をさらに救いようのない貧民窟に変えていく

なけなしの稼ぎで兵営の残飯を買い
病気やけがをしても新網の人間というだけで
診療を拒否され死に至る者や
盲や膝行といった不具者となる者が続出する

明治42年には国鉄浜松町駅が開業するが
意図されたものか必要ないと判断されたのか
新網町側に出口が作られたのは
ずいぶんと後の事だそうだ

そんな中
子供達だけは空き地や路地を駆け回り
紙屑と竹切れで器用に作った凧で遊んだり
年に一度の讃岐稲荷のお祭りに
群れをなして境内に集まったり

讃岐稲荷は
東京中の芸妓や男芸人らの崇敬を集めた
芸を売る人々の町にあったからなのか
芸能の発祥をそこに見るからなのか

現在でも
讃岐稲荷の玉垣には
往年の芸能人の名前が確認できる




讃岐・小白稲荷神社
東京都港区浜松町2-9-8

江島杉山神社2013年11月09日 19時04分12秒

杖を突いた盲人が一人また一人
続々と此処に集まる
琵琶法師、鍼灸師、按摩
此処は
関東周辺の盲人を統括する施設であり
統括監督者に杉山和一という男がいた

幼くして失明した杉山は
江ノ島の岩窟で断食祈願し
管鍼式という画期的な鍼治療法を発案
その後も修行を重ね名声を高め
五代将軍綱吉の治療を行う程に上り詰める

此処には鍼治療の教育施設が併設され
集まった盲人達は治療のやり方を学ぶ
まさに世界初の身体障害者教育施設であり
杉山は革新的技術を核に
障害者に職業を与える仕組みを
創ったイノベイターであった
無理矢理企業に障がい者雇用を義務付けるしか
能の無い現代の行政とは雲泥の差である

杉山は綱吉に何が欲しいかと問われ
一つ目が欲しいと答える
綱吉は竪川に掛かる一つ目橋の辺りに
土地と屋敷を与えたという
まるで一休さんのような話が残っている

キリストは盲人を治したらしいが
奇跡など決して求めてはいけない
自分の心と身体だけが自分なのに
いつでも僕らは
持ち物を増やし立ち位置を気にし
それが自分だと勘違いしてる
身体の限りに自分の道を地道に極め
自分の頭で考え智慧を発揮し
続く人達を育て継承していく
そんな生き方にこそ
学ぶべきだと思うが




東京都墨田区千歳1-8-2
江島杉山神社

東京大神宮2013年11月16日 17時24分00秒

記紀神話の冒頭に描かれる世界の始まり
最初に出現するのが
天之御中主神アメノミナカヌシノカミ
高御産巣日神タカミムスヒノカミ
神産巣日神カミムスヒノカミ
の三柱

造化三神と呼ばれる神様達だが
彼等は今ひとつ人気がない
日本には八百万の神がいるのに
それらは実は元は一つなのだという理屈
たくさんの部族を統べるための屁理屈
政治の臭いがプンプンする

明治13年明治天皇のご裁断を仰ぎ
日比谷に伊勢神宮の遥拝所が建設される
後に飯田橋に遷るこの神社
天皇はアマテラスの直系であるという理屈
だから天皇の下に民衆は服従せよという屁理屈
政治の臭いしかしない

大正8年には朝鮮に
アマテラスと明治天皇を祀る
朝鮮神宮が建設される
政治以外の何ものでもない

とは言えこの東京大神宮
アマテラスと造化三神に加え
外宮のトヨウケヒメと
アマテラスの鎮座地を探し彷徨い続けた
倭姫命ヤマトヒメノミコト
が勢揃いするある意味
本家伊勢神宮よりも強力な神社なのだ
縁結びなんて御手の物である

それにしても
此処はいつ来ても若い女達が行列している
若くないのもいるが
読んでも理解できなかった
故吉本隆明氏の共同幻想論を
解ったような気にさせてくれる

そんな訳で
毎回躊躇していた
女達の行列に
今日はオッサン一人
並んでみる事にする



東京大神宮
東京都千代田区富士見2-4-1

柳森神社〜太田道灌の夢①2013年11月30日 23時01分46秒

男の夢は
最強の城を築くことだった
誰も攻め入る事が出来ない
邪気や悪霊すら
近づくことが出来ない
最強の城を

なだらかな丘陵が広がる武蔵野台地では
川筋も定まらない流れが海を目指し
時に暴れ出し人々を襲った
男は城の鬼門の方角に
堤を築造し柳の森を創り
神社を配置することで
あらゆるものの鬼門からの侵入を防いだ

徳川家康が江戸に入るずっと前
江戸城は太田道灌が創った
その位置は正確にはわかっていないが
今の皇居の平川門辺りという説がある

試しに地図上で柳森神社から
平川門に向かって線を引いてみる
線を延長すると平河天神にぶつかり
反対方向は鳥越神社にぶつかる


鳥越神社は道灌以前からあったもの
鳥越神社と城を結ぶ線上に
柳森神社を置いたのかもしれない

平河天神は道灌が城内に菅原道真を祀ったもの
家康による城の拡張にあたり遷されたという
徳川のブレインは道灌の意図を理解していたらしい

神社は単なる信仰施設なんかではない
城を狙う敵の侵入を防ぐ
正真正銘の軍事施設なのだ
道灌は城の周りに幾つもの神社を配置し
最強の城を江戸の地に築いたのだ

神社の配置には相応のロジックがあっただろう
ビルや道路を造るからと
適当に神社を遷したり壊したりなんて
何が起きても知らないぜ



柳森神社
東京都千代田区神田須田町2-25-1