銀杏八幡2014年12月06日 18時54分20秒


詩人は言う
「しかもなほ形を変へた亡霊たちが
戦後の社会を彷徨し、
我々の空を暗くしてゐるのを凝視するには、
戦争の犠牲はあまりにも
高価であったことを知る者にとって、
戦時中以上の忍耐であると言はねばならぬ。」
(主張(抄))

戦死した57人の名前
かつてこの町内の住民だったのだろうか
そして今では
オフィスビルやマンションが林立するこの街に
今もなお
その町内は存在しているだろうか

武神である八幡社の境内
昭和殉国英霊碑と刻まれた記念碑が建つ
何も説明がないのでわからないが
町内の人の有志が建立したものか
建てられたのは敗戦後8年経ってからだ

生き残った町内の人は
決して帰って来なかった57人を
英霊と呼び弔う

敗戦を境に掌は返され
先生は教科書に墨を塗り
今日から民主主義ですとしゃあしゃあと語り出す
軍国主義時代は完全否定され
戦争の色合いを残すものは
隠蔽され破壊される

戦争や震災でたくさんの人が死んだ
決して過去に執着する必要はないが
生き残った僕らはきっと
生き残ってしまった負い目を背負いながら
食べたり笑ったり考えたりしなければ
いけないのかもしれない

外人からの靖国批判に違和感を覚えるのは
僕らがかつて
戦後8年経った後でも
英霊碑を建ててしまう
57人の名前を刻み
なんとか真空の空洞を埋める
そんな町内の人だったからだ

ここ最近
テレビや街頭では
亡霊のリーダー達が
人を殺したことのある眼をして
不気味な声を発してる
その周りで僕らは
もはや町内の人にもなれない
真空を埋める言葉もない

戦争で友人を失った詩人は
暗い空の下で言葉を書き連ねる
生き残ってしまった詩人は
饒舌に沈黙を刻みつける

「埋葬の日は、言葉もなく
立ち会うものもなかった、
憤激も、悲哀も、不平の柔弱な椅子もなかった。
空に向かって眼をあげ
きみはただ重たい靴の中に足をつっこんで
静かに横たわったのだ。
『さよなら、太陽も海も信ずるに足りない』
Mよ、地下に眠るMよ、
きみの胸の傷口は今でもまだ痛むか。」
(「死んだ男」鮎川信夫)




銀杏八幡
東京都中央区日本橋蠣殻町1-7-7