住吉大社2015年05月05日 12時59分48秒


大阪の街がまだ
商人の街でもお笑いの街でもなかった頃
太陽の没する方向
海の際が世界の涯だった

大陸や半島からたくさんの船が
次々にこの世界の涯を超えてやって来る
船の上からは
光り輝く巨大な古墳や
壮麗に彩られた社が見える

その配置はまるで
海原を行く軍艦の編隊
一隻二隻三隻
直線上に配された社
前衛は二隻
直線と直角を描く
幾何学的なその並びは
圧倒されるほど美しい

身体は腐り果て
その心まで無くしてしまった俺の妻
俺はようやく妻から逃れてこの海に辿り着いた
海でこの穢れは落とせるだろうか
深く深く
潜ろう
底まで
底の底まで

俺は見た
海の底で穢れは落とされ
俺の子が誕生するのを
海の中ほどで穢れは落とされ
俺の子が誕生するのを
海の表層で穢れは落とされ
俺の子が誕生するのを

イザナギの子である
ソコツツノオノミコト
ナカツツノオノミコト
ウワツツノオノミコト
は住吉三神と呼ばれ
その起源はわからない程古い
オリオン座の三ツ星にも例えられる
海で生まれた三神の伝承
古の海人達の
素朴な信仰が浮かび上がる

だが
船を自在に操る海人達は
有事の際に兵力として駆り出されていく
海上での充分な働きに
権力者達は彼等の統治に躍起になる

神功皇后が新羅出兵にあたって
住吉三神より託宣を受けたというシナリオ
皇后は後に住吉三神に合祀され
ここに武神の神格を有す
住吉大神が誕生する

社の配置はそれを物語る
三神の直線の列に
神功皇后が直角に配されたのだ

南北朝の時代には
住吉大社は南朝の重要拠点となる
後村上天皇の仮の御所であり
武神を旗印とする一大軍事要塞であった

大社の前は海だったという
大陸や半島からやってきた船上から
豪壮な社が見えたことだろう
彼等に武神の威厳を見せつけたに違いない
そして軍艦のような社群が示す方角は
ピタリと朝鮮半島を指している

住吉大社

住吉大社

住吉大社

住吉大社
大阪府大阪市住吉区住吉2-9-89

生国魂神社2015年05月10日 17時15分14秒


切り立つ岬の突端
眼下には砕け散る波
白い装束を纏う女が
恭しく筥を開け
帝の御衣を取り出す

細く白い腕で
高く掲げられた御衣
海の風が袖を通り抜ける
神が御衣を通り抜ける
新たな天皇の
世の安泰が約束される

上町台地の先端
現在大阪城のあるあたりに
生国魂神社はあった
歴代天皇の即位の後に
祭祀を行う場であったという

祭神は
生島大神イクシマオオカミ
足島大神タルシマオオカミ
の二神
海からの風を受ける儀式
古代からの産土神を祀る祭祀が
受け継がれていた

鎌倉時代までこの祭祀の記録が残っている
アマテラスを祖神とする皇統が
十分に確立していたにも関わらず
この地の産土神が
皇室によって祀られていたことになる

豊臣秀吉はこの聖なる地に
大阪城を築く
生国魂神社は南へ遷された
秀吉は自ら
神にでもなったつもりでいたのかもしれない
もう少し違う扱いをしておけば
あるいは歴史も違ってた
なんてことはねえか

さて現在の生国魂神社を訪れると
本殿の他に境内社が11社もあって
なかなかに楽しい
本殿のすぐ隣には
アマテラスが睨みを利かせてるのがわかり易い

鴫野神社という大阪ビジネスパークの開発に伴って
ここに遷された神社がある
もともとは弁天様なのだが
後の世に淀君が淀姫神として合祀されている
秀吉に無理やり遷されへそを曲げた産土神を
まあそう言わずと
なだめすかしているのかもしれない

生国魂神社

生国魂神社

生国魂神社
大阪府大阪市天王寺区生玉町13-9

鴫野神社

境内社 鴫野神社

阿倍王子神社2015年05月17日 14時29分53秒


歩いている
大勢の人と一緒に
俺は歩いている
畑と藪の道を
帝も通ったというこの道を
ひたすら
約束の地を目指して

天王寺を過ぎて人家などないというのに
この賑わいはなんだろう
女子供までが
挙ってこの道を行く
もうすぐ
第二王子で休むとしようか

中世以降
熊野参詣は蟻の熊野詣と言われるほど
一大ブームを巻き起こした
当時の人々は
最南極に位置する熊野を
浄土に面する地
浄土に最も近い地
と信じていた

誰もがその地を踏みたがる
南へ向かうこの道はいつしか
熊野街道と呼ばれるようになる

街道の起点は大阪の渡辺津
今の大阪城のある辺り
つまり
古代に生國魂の神を祀った祭祀場である
そこから四天王寺と住吉大社が結ばれ
まさに聖地ネットワークが
上町台地上に形成される
さらにその街道沿いには
九十九王子と呼ばれる
熊野権現を祀る神社などが設置され
休憩所や宿泊施設として機能したそうだ

そしてここ阿倍王子神社は
九十九王子の一つであり
大阪府内に唯一現存する王子である
四天王寺と住吉大社の中間に位置する

ここから紀伊山地の霊場へとつながっている
大阪と和歌山を連ねる一帯がまるで
大規模なアミューズメントパークのように見える
だけど便利な世の中になった筈なのに
現代の私達には
日数を要する熊野詣などほとんど不可能な話で
一体何が進歩したのか
中世の人にうまく説明できやしない

神社の西側がおそらく当時の熊野街道
そこから四天王寺のある方角には
あべのハルカスが見える
熊野の果ての浄土を見失った現代の私達は
それでもまだどこか高みへと
約束の地を探しているのかもしれない

阿倍王子神社

阿倍王子神社

阿倍王子神社

阿倍王子神社
大阪府大阪市阿倍野区阿倍野元町9-4