烏森神社〜将門調伏②2015年03月07日 16時10分55秒


はい
いまSL広場の所にいるんですが
冷汗と脂汗を垂らし
携帯で話しながら
私も
隣の男も
なかなか相手を見つけられずにいる

それはサラリーマンだからね
上が言うんだからそうなんだろうさ
自虐と諦念がアルコールで花開く
明日のためにと言い訳し
痛みと思考を麻痺させる

黒いスーツの男達が
夕暮れの新橋駅前に群れ集う
掴むものは少ないけれど
いつかきっと
いつかきっとと

JR新橋駅烏森口から程近く
烏森神社がある
意図はわからないが
鉄筋コンクリート製の
斬新的なデザインの神社だ

此処も平将門の調伏に関係する神社である
俵藤太秀郷が戦勝の記念に
此の地に稲荷社を勧請したのが始まりだという
知ってか知らずか立地からか
参拝する人は後を絶たない

東京には神田明神や筑土神社など
将門を祭神とする神社がある一方
将門調伏を掲げる神社もまた多い
江戸っ子は将門が好きなんて
短絡的な理解では足りないようだ

誰だって先ずは自分の利を考える
悪政と言われる時代でも
そこから利を得ていた人が
大多数存在するのは当然だ

痛みに耐え
だけどしたたかに
自分の役割を粛々と果たす
そこそこの生活の継続
それを望むのもまた正しい

でも本当は
それじゃあ満足できない
理不尽な仕打ちに
馬鹿げた世界に
欲なのか怒りなのか
将門の登場に
そんな大多数の人々は
変革を期待する

東京の街に相反する
二大勢力の神社が混在する姿は
歴史の中に埋もれた
大多数の人々の生き様を浮かび上がらせ
それはまた
歴史に埋もれゆく
現在を生きる我々の生き様に
重なるようにも見える

かつて此処は
波が打ち寄せる砂浜と
烏が群れ集う松林
黒いスーツの男達が
今日も此処に群れ集う

烏森神社

烏森神社

烏森神社

烏森神社
東京都港区新橋2-15-5

鎧神社〜将門調伏③2015年03月15日 17時05分48秒


「地図を見れば誰でもわかることだが、線路はその神社を軸に、見事な弧を描いているのだ。」(「平将門魔法陣」加門七海)

この神社には将門の鎧が埋まっている
首を失った将門の遺骸から
何者かが鎧を引き剥がし
この地まで運んだ

将門を慕う者の仕業とも
俵藤太秀郷が祟りを恐れ自ら埋めたとも
真偽の程は分からないが
兎に角ここの境内を掘れば
将門の鎧が出てくるに違いない

祭神は平将門
この辺りは古くは柏木村と呼ばれ
恐らくは長閑な田園地帯
延々と将門への信仰が
静かに深く続いてきたのだろう

確かに地図を見ると
異様なほど真っ直ぐに突っ走ってきたJR中央線は
この鎧神社を軸に唐突にカーブを始めるように見える
著者は言う
徳川幕府が構築した将門の霊力による結界を
明治政府が鉄路によって分断したと
中央線の終点高尾から
鉄路に天皇霊を乗せて
日々将門に睨みを利かせているのだと

こんな話をすると
あなたは鼻でせせら笑う
それは都市伝説だねと
トイレの花子さんなんかと一括りにする

でも少し待ってくれ
たかだか100年前
明治の始めまで
陰陽寮という行政機関が存在し
呪術を行う技術系の官僚が活躍していた
陰陽師として安倍晴明が有名だが
起源は7世紀飛鳥時代にまで遡る
これはオカルトでもなんでもない
この日本で千年以上も続いた
国家公務員の真面目な仕事であったのだ

鉄道を敷くにしても
さて具体にどこをどうしましょうかといった段階で
様々なファクターがはたらく
地元有力議員によって新幹線の路線が捻じ曲げられる
なんて話は至極当たり前の話だ
徳川幕府が築いた将門の結界を破壊すべく
明治政府が路線を捻じ曲げたというのは
決して妄想のレベルではないんじゃなかろうか

日本人はみんな真面目だから
今目の前にある世界を前提に
これはできるこれはできないと
訳知り顔で偉そうに宣われたりしますが
時に歴史に学ばなきゃ
真実なんて見えやしない
真っ直ぐな中央線が鎧神社を軸に急激にカーブする
そのリアルを実際にその目で見るべきだ

明治政府も天皇も将門を恐れた
その恐れは今も続いている
毎日私達を鮨詰にした電車で
結界を分断し続けることで
将門調伏は続いている
それでも誰も完全に排除はできない
逆賊である将門の首塚を
未だ皇居のそばから
遠ざけることすらできずにいる

ある夜
酔っ払った上司と大手町の首塚へ
おもむろに横で柏手を打ち始めたので
お言葉ですがこれはお墓ですので
柏手はふさわしくない旨を具申
こ、これは祟られると尋常でなく取り乱す上司
将門はそんな器の小っちゃな男じゃないっすよと私
そのとおり上司は今日も無事健在だ

鎧神社

鎧神社

鎧神社
東京都新宿区北新宿3-16-18

将門首塚

将門首塚
東京都千代田区大手町1-2-1