今宮戎神社 ― 2016年10月23日 17時28分03秒
民という漢字は
眼球に針を突き刺した様を表す
象形文字なのだそうだ
古代中国の王族は
眼球を潰して
都合よく奴隷を使役した
民という漢字は
イコール奴隷という意味なのだ
大阪では
えべっさんと呼ばれる今宮戎神社
正月の十日戎には
たくさんの商売人が集まる
手に手に笹を持ち
ほろ酔い心地で
一年の繁盛を祈願する
神社の起源は古い
聖徳太子が四天王寺を建立した際に
寺院守護のために配されたという
確かに四天王寺からピタリと西の方角にある
つまり当初は
為政者による政治的思惑によって
この神社は建てられた事がわかる
祭神は
天照大神
月読尊
素戔嗚尊
事代主神
聖徳太子らが殺戮した
物部守屋の荒ぶる魂を鎮めるため
物部氏の祖神ニギハヤヒの父
スサノオは
既に日向の神に取込まれているのだよと
言っているように見える
ただし
この祭神が当初からのものであるかは
詳かでない
大きかったのか小さかったのか
難波津の波打ち際に建てられた祠
周りには市が立ち
夥しい商品が流通する
人々は行き交い
祠は商売人達の信仰施設となる
そしていつしか
七福神のえびすが鎮座する
本来の意味は見えてはいないのかもしれないが
それを超越して剥奪した民のパワー
神も祭りも
今ではすっかり民のものだ
政治主導の経済政策などと
まことしやかに語られているが
商売人達はきっと
そんな政治家達を
クールな眼球で
眺めているに違いない
針など刺されてたまるかよ


今宮戎神社
大阪府大阪市浪速区恵美須西1-6-10
弓削神社 ― 2016年06月19日 11時06分35秒
女帝は美しかった
良い香りが立ち籠める
あの室が堪らなく懐かしい
あの時私は
私の人生など
もうどうなっても良いと
本気で思ったのだ
悪僧として名高い弓削道鏡
女帝をたらしこみ
自ら天皇になろうとした男
時は八世紀後半
仏僧と女帝のスキャンダルは
テレビやネットなんかなくても
即座に日本中に広まった
処女のまま即位した女帝と
仏法に帰依する僧とが
犯した禁忌
今も昔も
皆ゲスな話題が大好きだ
道鏡は座ると膝が三つ出来
と江戸時代の川柳があるほど
巨大なイチモツの持ち主だったという
浮世絵などで描かれる彼の姿は
まるで陰茎の権化だ
女帝の諡は孝謙天皇
淳仁天皇に譲位し上皇となった後
再び称徳天皇として重祚する
上皇時代に
二人は出会う
病に伏せる上皇の看病禅師として
現れたのが道鏡であった
この時女帝は四十四歳
今までがむしゃらに
キャリアウーマンの道を
ひた走ってきた女帝は
恋に落ちた
病の床で目覚めた時に
目に映ったのが
脂ぎったポコチン坊主では
決してなかったはずだ
その後の二人三脚での執政と
女帝の道鏡への絶対的な信頼を見れば
そこにいたのはきっと
聡明なイケメン坊主だったに違いない
道鏡を輩出した弓削氏は
物部氏に連なる一族
河内国に広く分布していたという
道鏡の時代から遡ること300年
物部守屋が聖徳太子によって殺戮された記憶は
物部一族が政治の表舞台から
引きずり降ろされた記憶は
この一族にはまだ決して
風化したものではなかったはずだ
八幡神託事件なども
道鏡本人というより
巻き返しを図る
物部の末裔の仕業
だったのではなかろうか
新しい都として女帝が選んだのは
愛する男の生まれた
この河内の地であった
ここに今も残る弓削神社
神武天皇に皇位を譲った
あるいは
剥奪された
物部氏の祖神であるあの神が鎮座する
まさか巻き返しを図ったのは
あの神の意志
だったのか
僕等は遂にあの神に辿り着いた
あの神の名は
饒速日命ニギハヤヒノミコト
風化したものではなかったはずだ
八幡神託事件なども
道鏡本人というより
巻き返しを図る
物部の末裔の仕業
だったのではなかろうか
新しい都として女帝が選んだのは
愛する男の生まれた
この河内の地であった
ここに今も残る弓削神社
神武天皇に皇位を譲った
あるいは
剥奪された
物部氏の祖神であるあの神が鎮座する
まさか巻き返しを図ったのは
あの神の意志
だったのか
僕等は遂にあの神に辿り着いた
あの神の名は
饒速日命ニギハヤヒノミコト


弓削神社
大阪府八尾市弓削町1-36


弓削神社(東弓削)
大阪府八尾市東弓削1-166
三光神社〜真田山陸軍墓地 ― 2015年09月21日 18時03分45秒
時は明治4年
西欧列強に負けてたまるかと
政府は大日本帝国陸軍を組織する
陸軍の拠点として大阪が選ばれ
大阪城の周辺は
急速に軍事都市化する
陸軍第四司令部
砲兵工廠
お城の周りに
次々と軍事施設が出現する
真田幸村が陣を張ったと伝わる
由緒ある大阪城防衛の地
真田山と呼ばれる丘陵に
陸軍墓地が築かれた
傍にあった神社
何故だろう祭神が
アマテラス・ツクヨミ・スサノオの
三貴神へと変更している
以前の祭神名はどこにも出てこない
政府や陸軍が関与したのかは
よくわからない
陸軍の最初の敵は皮肉にも
反乱を起こしたサムライ達であった
自分と同じ日本人相手の戦争
大阪に負傷兵や遺体が続々と送り返されてくる
戦病死者はここ真田山陸軍墓地に埋葬された
西南戦争の後
日清日露と墓標の数は激しく増え続ける
あまりにも戦病死者が増えるので
階級ごとの合葬墓で間に合わせるようになる
もう太平洋戦争の頃には
いちいち埋葬などしてられなかったのか
遺骨は納骨堂に押し込められた
敗戦後
陸軍省は廃止
陸軍墓地は大蔵省の管轄となり
土地は大阪市へ貸与され
実質国の関与はない
今や遺族らによる維持会で
なんとか管理されている状態だという
色んなことが隠されて
隠しきれないものは
知ったことかと放置される
荒れ放題の墓碑群
ただ朽ちていくのを待っているようだ
誰も責任をとらない
そんな事態がきっとまた繰り返される



三光神社
大阪府大阪市天王寺区玉造本町14-90
大江神社、久保神社、河堀稲生神社〜見付かつた、何が、永遠が2 ― 2015年08月08日 15時59分52秒
もう少し四天王寺七宮を辿ってみよう
大江神社は四天王寺の西に位置し
祭神に豊受大神を祀る
トヨウケヒメといえば
アマテラスに食物の世話をする女神である
久保神社は四天王寺の東に位置する
祭神は天照大神だ
ここで
今やすっかり神社マニアの素敵な貴女なら
ピンと来る筈
あの伊勢神宮の外宮と内宮の配置が
四天王寺を挟んで存在しているのだ
これは何を意味するのだろう
聖徳太子が建立したという四天王寺
まだ新興の宗教であった仏教を
国政に取り入れる先駆けとなった寺院だ
その寺を守護するように
神道のツートップが配置される
お釈迦様もきっと驚愕する
なんとも日本的な宗教感覚
久保神社から南へ下ると
河堀稲生神社がある
ここには前回の堀口神社と同様
崇峻天皇が祀られている
蘇我氏の権力の下で建てられた四天王寺の周りに
蘇我氏への怨みのパワーを配置する
その意味とは何だろう
試みに各社を線で繋いでみる
結界を張っているのだろうか
トヨウケヒメ〜アマテラスラインは
四天王寺を貫くが
今ひとつ
しっくりくるものではない
さて
七宮というくらいだから
残り三社がある訳だが
残念ながら明治後期に大江神社へ合祀され
今は残っていない
神社と祭神と場所は以下の通り
上之宮神社 欽明天皇 上之宮町
小儀神社 スサノオ 四天王寺東門前
土塔神社 スサノオ 四天王寺南門前
欽明天皇は聖徳太子の祖父にあたり
仏教が渡来した頃の天皇だったそうな
仏教の拠点をこれだけの神社が取り囲む
今やすっかり神社マニアのイカした貴殿であれば
この意味するところをすでに
考え始めていることだろう
その鍵はやはり四天王寺にあった
つづく

大江神社
大阪府大阪市天王寺区夕陽丘町5-40

久保神社
大阪府大阪市天王寺区勝山2-5-14

河堀稲生神社
大阪府大阪市天王寺区大道3-7-3
朝日神明社〜将門、再び ― 2015年06月01日 22時28分37秒
将門は分もわきまえず
掟を忘れ朝廷に反逆した
その科は重く
帝みづからが天誅を下す
国の公式な行政文書で
正式に反逆者として位置づけられた平将門
事の始まりは
単なる一族の内紛に過ぎなかった
父親が早世したのに付け込まれ
伯父達に不当に所領を奪われたりと
非道い扱いを受けたらしい
将門は強かった
待ち伏せされ戦いを挑まれた将門は
彼らを撃退し
その勢いで伯父の国香の本拠地を
国香もろとも焼き払ってしまう
国香の息子貞盛は
戦いを抜け出し京に上り
しゃあしゃあと
太政官に将門の所業を訴える
いい子ちゃんぶってすぐに先生にチクる
あの感じだな
朝日神明社は平貞盛が創建したと伝わる
中央で出世を狙ういい子ちゃん貞盛は
これはいいネタだと
有る事無い事吹聴し
ポジション向上を図ったのかもしれない
浪速の地に神社を建てましょうと
言ったかどうかまでは定かではないが
熊野街道の王子社であったとも伝わる
上町台地聖地ラインの
重要ポイントであった事は間違いない
そこにおける将門の伝承を
人々はどう受け止めたのだろうか
時代は下って秀吉の時代
秀吉は大阪城築城に当たって
暴力的に神社を移動させる
だがこの神明社は動かさなかった
それどころか篤く崇敬したとも伝わる
秀吉の朝廷へのアプローチを考えると
朝敵を調伏した神社ですよと
媚を売る材料だったのかもしれない
明治40年
神明社は他の神社と合祀され
場所も遠く移された
社運傾き維持困難という理由だが
今一つよくわからない
奇しくも同年
東京では渋沢栄一と織田完之による
将門復権が盛んとなっていた
大阪商人達が中央経済界へおもねいた
というのは考えすぎだろうか
誰にへつらうこともない将門の生き方
だけど大阪の商人文化には
まるで必要とされなかったようだ
突然に革新的なリーダーが現れて
必死で問題解決を叫んでも
彼らにはその問題が理解できないのだ
そもそもの前提を覆そうなんていう気質は
この商都には存在しないのかもしれない
そして今やそれは決して
この街に限ったことではない


朝日神明社
大阪市此花区春日出中1-6-21

朝日神明社跡
大阪市中央区神崎町2-30南大江公園
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