阿倍王子神社 ― 2015年05月17日 14時29分53秒
歩いている
大勢の人と一緒に
俺は歩いている
畑と藪の道を
帝も通ったというこの道を
ひたすら
約束の地を目指して
天王寺を過ぎて人家などないというのに
この賑わいはなんだろう
女子供までが
挙ってこの道を行く
もうすぐ
第二王子で休むとしようか
中世以降
熊野参詣は蟻の熊野詣と言われるほど
一大ブームを巻き起こした
当時の人々は
最南極に位置する熊野を
浄土に面する地
浄土に最も近い地
と信じていた
誰もがその地を踏みたがる
南へ向かうこの道はいつしか
熊野街道と呼ばれるようになる
街道の起点は大阪の渡辺津
今の大阪城のある辺り
つまり
古代に生國魂の神を祀った祭祀場である
そこから四天王寺と住吉大社が結ばれ
まさに聖地ネットワークが
上町台地上に形成される
さらにその街道沿いには
九十九王子と呼ばれる
熊野権現を祀る神社などが設置され
休憩所や宿泊施設として機能したそうだ
そしてここ阿倍王子神社は
九十九王子の一つであり
大阪府内に唯一現存する王子である
四天王寺と住吉大社の中間に位置する
ここから紀伊山地の霊場へとつながっている
大阪と和歌山を連ねる一帯がまるで
大規模なアミューズメントパークのように見える
だけど便利な世の中になった筈なのに
現代の私達には
日数を要する熊野詣などほとんど不可能な話で
一体何が進歩したのか
中世の人にうまく説明できやしない
神社の西側がおそらく当時の熊野街道
そこから四天王寺のある方角には
あべのハルカスが見える
熊野の果ての浄土を見失った現代の私達は
それでもまだどこか高みへと
約束の地を探しているのかもしれない
熊野権現を祀る神社などが設置され
休憩所や宿泊施設として機能したそうだ
そしてここ阿倍王子神社は
九十九王子の一つであり
大阪府内に唯一現存する王子である
四天王寺と住吉大社の中間に位置する
ここから紀伊山地の霊場へとつながっている
大阪と和歌山を連ねる一帯がまるで
大規模なアミューズメントパークのように見える
だけど便利な世の中になった筈なのに
現代の私達には
日数を要する熊野詣などほとんど不可能な話で
一体何が進歩したのか
中世の人にうまく説明できやしない
神社の西側がおそらく当時の熊野街道
そこから四天王寺のある方角には
あべのハルカスが見える
熊野の果ての浄土を見失った現代の私達は
それでもまだどこか高みへと
約束の地を探しているのかもしれない



阿倍王子神社
大阪府大阪市阿倍野区阿倍野元町9-4
富賀岡八幡宮 ― 2015年01月15日 21時05分28秒
荷風先生のように歩き出した僕は
曇天の下
巨大なショッピングモールを通り過ぎて
目的の神社に辿り着いた
80年前に永井荷風の歩いた道
砂漠のような埋立地も
汚い長屋建ての人家も
見つかるわけもなく
荷風先生は枯蘆と霜枯れの草の中に
荒廃した小祠を見つける
忽然と現れた古社に驚き
その偶然を喜んだ
先生はこのモノトーンの景色の中に
原色の女を見る
女が乗り込んだ乗合自動車に
先生もまた
追いかけるように乗り込んだ
女は洲崎パラダイスの大門前で下車する
休日に外出した娼妓であったと納得する
ただそれだけのことなのだが
砂町の寂しい風景と荒廃した小祠と
実家なのか此処に所縁のある娼家の女と
先生にはそれが
何か美しい物語に見えたのかもしれない
深川八幡祭りで有名な富岡八幡は
元々はこの砂町にある富賀岡八幡を
深川へ遷したものだという
元八幡とも呼ばれ
門前に繁華街が開け多くの人を集める有名な神社の
言わばオリジナルであると主張する
住んでる人でもなければ
今も昔も
わざわざ訪れるような場所ではないが
荷風先生の頃とは違って
社殿は綺麗に整えられ
立派な富士塚もある
そこそこ魅力ある神社である
オリジナルの主張など逆に鼻に付くぐらいだ
遡れば
この地が開拓される以前
恐らくは幾つかの小島が点在する海原が広がり
清和源氏の関東への勢力拡大に伴って
小島の一つに八幡神をマーキングしたのだろう
どおってことないと思われていた土地が
俄かに歴史の大舞台に転換する
荷風先生の残した美しいストーリーや
古につながる歴史を
真面目に追求し語ることを
神社だけでなくこの地域の
売りにしたらいいのにと少し思った
話は飛ぶが
地方創生に多額の国費が投じられるらしい
センスのないゆるキャラばかり作って
皆んなで横並びしてないで
それこそ古代から連綿とつながる
独自の歴史と美しいストーリーを堂々と
語ってくれる町づくりなんていいと思うが
日本中できっと驚くほどの地域の個性に
気づかされると思うのだが
荷風先生のように都バスに乗った僕には
曇天の下
原色の女など現れる筈もなく
PASMOがうまく使えないお婆さんが
ようやく降りることができたのを
ただずっと眺めていた



富賀岡八幡宮
東京都江東区南砂7-14-18
銀杏八幡 ― 2014年12月06日 18時54分20秒
詩人は言う
「しかもなほ形を変へた亡霊たちが
戦後の社会を彷徨し、
我々の空を暗くしてゐるのを凝視するには、
戦争の犠牲はあまりにも
高価であったことを知る者にとって、
戦時中以上の忍耐であると言はねばならぬ。」
(主張(抄))
戦死した57人の名前
かつてこの町内の住民だったのだろうか
そして今では
オフィスビルやマンションが林立するこの街に
今もなお
その町内は存在しているだろうか
武神である八幡社の境内
昭和殉国英霊碑と刻まれた記念碑が建つ
何も説明がないのでわからないが
町内の人の有志が建立したものか
建てられたのは敗戦後8年経ってからだ
生き残った町内の人は
決して帰って来なかった57人を
英霊と呼び弔う
敗戦を境に掌は返され
先生は教科書に墨を塗り
今日から民主主義ですとしゃあしゃあと語り出す
軍国主義時代は完全否定され
戦争の色合いを残すものは
隠蔽され破壊される
戦争や震災でたくさんの人が死んだ
決して過去に執着する必要はないが
生き残った僕らはきっと
生き残ってしまった負い目を背負いながら
食べたり笑ったり考えたりしなければ
いけないのかもしれない
外人からの靖国批判に違和感を覚えるのは
僕らがかつて
戦後8年経った後でも
英霊碑を建ててしまう
57人の名前を刻み
なんとか真空の空洞を埋める
そんな町内の人だったからだ
ここ最近
テレビや街頭では
亡霊のリーダー達が
人を殺したことのある眼をして
不気味な声を発してる
その周りで僕らは
もはや町内の人にもなれない
真空を埋める言葉もない
戦争で友人を失った詩人は
暗い空の下で言葉を書き連ねる
生き残ってしまった詩人は
饒舌に沈黙を刻みつける
「埋葬の日は、言葉もなく
立ち会うものもなかった、
憤激も、悲哀も、不平の柔弱な椅子もなかった。
空に向かって眼をあげ
きみはただ重たい靴の中に足をつっこんで
静かに横たわったのだ。
『さよなら、太陽も海も信ずるに足りない』
Mよ、地下に眠るMよ、
きみの胸の傷口は今でもまだ痛むか。」
(「死んだ男」鮎川信夫)
戦争の犠牲はあまりにも
高価であったことを知る者にとって、
戦時中以上の忍耐であると言はねばならぬ。」
(主張(抄))
戦死した57人の名前
かつてこの町内の住民だったのだろうか
そして今では
オフィスビルやマンションが林立するこの街に
今もなお
その町内は存在しているだろうか
武神である八幡社の境内
昭和殉国英霊碑と刻まれた記念碑が建つ
何も説明がないのでわからないが
町内の人の有志が建立したものか
建てられたのは敗戦後8年経ってからだ
生き残った町内の人は
決して帰って来なかった57人を
英霊と呼び弔う
敗戦を境に掌は返され
先生は教科書に墨を塗り
今日から民主主義ですとしゃあしゃあと語り出す
軍国主義時代は完全否定され
戦争の色合いを残すものは
隠蔽され破壊される
戦争や震災でたくさんの人が死んだ
決して過去に執着する必要はないが
生き残った僕らはきっと
生き残ってしまった負い目を背負いながら
食べたり笑ったり考えたりしなければ
いけないのかもしれない
外人からの靖国批判に違和感を覚えるのは
僕らがかつて
戦後8年経った後でも
英霊碑を建ててしまう
57人の名前を刻み
なんとか真空の空洞を埋める
そんな町内の人だったからだ
ここ最近
テレビや街頭では
亡霊のリーダー達が
人を殺したことのある眼をして
不気味な声を発してる
その周りで僕らは
もはや町内の人にもなれない
真空を埋める言葉もない
戦争で友人を失った詩人は
暗い空の下で言葉を書き連ねる
生き残ってしまった詩人は
饒舌に沈黙を刻みつける
「埋葬の日は、言葉もなく
立ち会うものもなかった、
憤激も、悲哀も、不平の柔弱な椅子もなかった。
空に向かって眼をあげ
きみはただ重たい靴の中に足をつっこんで
静かに横たわったのだ。
『さよなら、太陽も海も信ずるに足りない』
Mよ、地下に眠るMよ、
きみの胸の傷口は今でもまだ痛むか。」
(「死んだ男」鮎川信夫)



銀杏八幡
東京都中央区日本橋蠣殻町1-7-7
尾久八幡〜愛のコリーダ ― 2014年09月28日 17時49分51秒
大正3年
西尾久二丁目にある碩運寺の境内で温泉が出た
寺の湯は大ヒットとなり
周りに次々と温泉旅館がオープン
さらに芸妓屋や料理屋が集まり三業地へと格上げ
ついこの間まで田圃だったこの地が
一大遊興地へと変貌した
昭和11年
2・26事件が起きるなど社会に不穏な空気が流れる中
この尾久三業地を全国的に有名にした事件が起きる
世に言う阿部定事件
首を絞められ性器を切断された殺人現場に
マスコミはエログロな猟奇殺人を喧伝
三業地は見物客で溢れ阿部定景気に湧いたという
昭和22年
我らが安吾先生
阿部定本人と対談までしちゃってる
破滅へ向かって走り始めた息も詰まるような時代に
反動的に扇情的に書き立てられた
世相に対するジャーナリストの皮肉であると分析する
たった一度なんです
それがあの人なんです
三十二で恋なんて
おかしいかも知れないけど
でも
一度も恋をしないで死ぬ人だって
たくさんいるんでしょう
いたって正常で
純粋で可愛い女性がそこにいた
そして現在
地下水の汲み上げで温泉はとっくに出ない
三味線の音に代わって
子供の練習するピアノの音しか聞こえない
今はもうその面影を探すのは難しい
妙に入り組んだ路地と
新地と書かれた電話の標識くらいか
多分この道を
愛しい人の身につけていた
ステテコとシャツを腰巻きの中に着け
雑誌の表紙で包んだ
包丁で切断した愛しい人の
血だらけの性器を大切に抱いて
阿部定は急いだ
電車道の向こうに八幡さまが見える
待合に入る前に
二人でお参りした
かどうかは
わからない
「お定さんの場合は、更により深く悲しく、いたましい純情一途な悲恋であり、やがてそのほのぼのとしたあたたかさは人々の救ひとなつて永遠の語り草となるであろう。恋する人に幸あれ。」
(「阿部定さんの印象」坂口安吾)



八幡神社
東京都荒川区西尾久3-7-3
金王八幡宮 ― 2014年05月10日 17時44分29秒
五月に死んだ詩人は
五月に誕生したと詠う
呪詛となった詩人の言葉は
今も有効に機能しているだろうか
街中が舞台となって
街中が劇場となって
一般市民も警察官も
演者となり観客となる
スマホなんか無くても
場に存在することで
全員が関係者になる
傍観者など許されない
渋谷の金王八幡の境内と
その近くの自分の劇場で
詩人は乱闘事件を起こす
それもまた詩であり演劇のようだな
詩人は呪詛の言葉で
書を捨てて街へ出ろと
母を殺して家出しろと
競馬場へソープへ行けと人々を煽る
誰もが詩人の演出で市街劇を演じ始める
でももう今は詩人はいない
呪詛は解けてしまったようだ
ビルばかりが伸びてく街で
詩も物語も生まれなくなった街で
ほんとうはみんな
過激な市街劇が始まるのを待っているんだろ
五月に誕生したと詠う
呪詛となった詩人の言葉は
今も有効に機能しているだろうか
街中が舞台となって
街中が劇場となって
一般市民も警察官も
演者となり観客となる
スマホなんか無くても
場に存在することで
全員が関係者になる
傍観者など許されない
渋谷の金王八幡の境内と
その近くの自分の劇場で
詩人は乱闘事件を起こす
それもまた詩であり演劇のようだな
詩人は呪詛の言葉で
書を捨てて街へ出ろと
母を殺して家出しろと
競馬場へソープへ行けと人々を煽る
誰もが詩人の演出で市街劇を演じ始める
でももう今は詩人はいない
呪詛は解けてしまったようだ
ビルばかりが伸びてく街で
詩も物語も生まれなくなった街で
ほんとうはみんな
過激な市街劇が始まるのを待っているんだろ
「きらめく季節に
誰があの帆を歌ったか
つかの間の僕に
過ぎてゆく時よ」
(「五月の詩・序詞」寺山修司)


金王八幡宮
東京都渋谷区渋谷3-5-12
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