三十番神七面大明神 ― 2013年10月19日 22時31分22秒
一日は熱田大明神
二日は諏訪大明神
三日は廣田大明神
室町時代の神道家
吉田兼倶は朝廷と幕府に取り入り
宗教界の実権を掌握
その地位を高めていく
勢いを仏教界へも拡げ
記紀神話の神が仏教の神と融合していく
仏教の帰依者を守る神々を
一ヶ月三十日にそれぞれ配するという
平安時代に中国から伝わった番神信仰
吉田はこれを利用し
法華経を守護する神として
一ヶ月三十日にそれぞれ記紀神話の神々を配置
法華三十番神をブチ上げた
なにせこの神様
一日交代で
まるでカレンダーのように
日本各地の有名な神様が配置されてるという
まさに日替わり神様
あるいは日めくり神様
近所にあったら
わざわざ遠くに行かなくとも
毎日有名どころにお参りできるという便利さ
江戸時代まで爆発的に流行していたらしい
明治以降
三十番神信仰は下火となり
人々から忘れ去られる
神仏分離令により
日蓮宗のお寺にあった番神堂は
ほとんどが廃棄された
しかしそれ以上に
西暦への転換が
三十番神の意味を奪っていったのかもしれない
足立区に残る三十番神は
地元の豪族の屋敷神だったという
外からは仏教との結びつきは見えないため
破壊を逃れたのだろうか
今でも地元では
社の前の通りをばんじん通りと呼び
毎年お祭りも続いているという
欲と野望に満ちた男の
思惑から生まれた神様ではあるが
膨大な時と祈りと思いを受けて
独自の神格として変容していったに違いない
因みに十日は伊勢神宮
十一日は石清水八幡宮と
そうそうたるメンツを揃えるこの神社
もしかしたら
隠れた強力なパワースポットなのかもしれないぜ
二日は諏訪大明神
三日は廣田大明神
室町時代の神道家
吉田兼倶は朝廷と幕府に取り入り
宗教界の実権を掌握
その地位を高めていく
勢いを仏教界へも拡げ
記紀神話の神が仏教の神と融合していく
仏教の帰依者を守る神々を
一ヶ月三十日にそれぞれ配するという
平安時代に中国から伝わった番神信仰
吉田はこれを利用し
法華経を守護する神として
一ヶ月三十日にそれぞれ記紀神話の神々を配置
法華三十番神をブチ上げた
なにせこの神様
一日交代で
まるでカレンダーのように
日本各地の有名な神様が配置されてるという
まさに日替わり神様
あるいは日めくり神様
近所にあったら
わざわざ遠くに行かなくとも
毎日有名どころにお参りできるという便利さ
江戸時代まで爆発的に流行していたらしい
明治以降
三十番神信仰は下火となり
人々から忘れ去られる
神仏分離令により
日蓮宗のお寺にあった番神堂は
ほとんどが廃棄された
しかしそれ以上に
西暦への転換が
三十番神の意味を奪っていったのかもしれない
足立区に残る三十番神は
地元の豪族の屋敷神だったという
外からは仏教との結びつきは見えないため
破壊を逃れたのだろうか
今でも地元では
社の前の通りをばんじん通りと呼び
毎年お祭りも続いているという
欲と野望に満ちた男の
思惑から生まれた神様ではあるが
膨大な時と祈りと思いを受けて
独自の神格として変容していったに違いない
因みに十日は伊勢神宮
十一日は石清水八幡宮と
そうそうたるメンツを揃えるこの神社
もしかしたら
隠れた強力なパワースポットなのかもしれないぜ



三十番神七面大明神
東京都足立区足立2-8
弥生廟 ― 2013年10月26日 18時15分03秒
川路利良は帰らなかった
西郷は帰ってしまったが
付き従った多くの藩士達とは袂を分かち
薩摩へは帰らなかった
地下鉄九段下駅から
日本武道館へ向かう途中
田安門を潜った傍に不思議な空間がある
狛犬や石灯籠が置かれる細い階段を登ると
重厚な雰囲気を漂わす小祠が現れる
神社にしては鳥居が見当たらず
しかし神明造りの本殿と
吹き抜けの拝殿を配することから
明らかに何らかの信仰施設であることがわかる
ここには
犯罪捜査の途中で殉職した警官や
消火活動の中で命を落とした消防士が
神様として祀られている
その数は2500柱に及び
戦後の政教分離により
警視庁では管理できなくなったが
有志によって現在でも合祀と慰霊祭が続けられる
正真正銘の神社である
そしてまた
ここは別な意味で特別な地でもある
関東大震災により壊滅的な被害を受けた帝都東京
まだ現人神であらせられた昭和天皇が
この地を踏みしめ
復興した街々を眺めた場所なのだ
これは野立てといって
眺めた場所にパワーを送り込む呪術行為なのだ
弥生廟はこの地に
戦後遷されている
天皇は人間になってしまったが
殉職者を神とする神社の遷宮に
特別なこの地が選ばれたのには
外国人などには決して理解できない
深い意味があったのかもしれない
西郷隆盛は
役目を失った武士の魂を
一身に引き受け死んでいったが
西郷は帰ってしまったが
付き従った多くの藩士達とは袂を分かち
薩摩へは帰らなかった
地下鉄九段下駅から
日本武道館へ向かう途中
田安門を潜った傍に不思議な空間がある
狛犬や石灯籠が置かれる細い階段を登ると
重厚な雰囲気を漂わす小祠が現れる
神社にしては鳥居が見当たらず
しかし神明造りの本殿と
吹き抜けの拝殿を配することから
明らかに何らかの信仰施設であることがわかる
ここには
犯罪捜査の途中で殉職した警官や
消火活動の中で命を落とした消防士が
神様として祀られている
その数は2500柱に及び
戦後の政教分離により
警視庁では管理できなくなったが
有志によって現在でも合祀と慰霊祭が続けられる
正真正銘の神社である
そしてまた
ここは別な意味で特別な地でもある
関東大震災により壊滅的な被害を受けた帝都東京
まだ現人神であらせられた昭和天皇が
この地を踏みしめ
復興した街々を眺めた場所なのだ
これは野立てといって
眺めた場所にパワーを送り込む呪術行為なのだ
弥生廟はこの地に
戦後遷されている
天皇は人間になってしまったが
殉職者を神とする神社の遷宮に
特別なこの地が選ばれたのには
外国人などには決して理解できない
深い意味があったのかもしれない
西郷隆盛は
役目を失った武士の魂を
一身に引き受け死んでいったが
川路利良は
自らのミッションに従い
欧米の警察制度を導入し
現在の警察の礎を築いていく
その勤勉さもまた
武士の魂の発露であったとは言えないだろうか
川路利良は
靖国神社には入れなかったが
この弥生廟に特別功労者として
殉職者達と共に神様として祀られている
自らのミッションに従い
欧米の警察制度を導入し
現在の警察の礎を築いていく
その勤勉さもまた
武士の魂の発露であったとは言えないだろうか
川路利良は
靖国神社には入れなかったが
この弥生廟に特別功労者として
殉職者達と共に神様として祀られている



弥生慰霊堂
東京都千代田区北の丸公園2-4
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