石塚稲荷神社2014年05月17日 22時49分40秒

柳橋の路地裏の二階
若かりし頃の永井荷風は
風に動く簾越しに
向いの部屋を覗き見る
夏の光の射す畳の上で
浴衣姿の女が四、五人
ごろごろ寝転んでいた

柳橋は江戸時代から
吉原へ向かう猪牙舟などの船宿として
また両国川開きの花火見物で
江戸屈指の花街へと発展した

明治の世となり
薩長新政府が幅を利かせる中
旧幕贔屓の柳橋の芸妓は
彼等に全く靡かなかった

新政府は余程悔しかったのか
新橋に新しい花柳界をつくる
柳橋芸妓のプライドと意気を感じる話である

政府高官など相手にせずとも
財界としっかり結びついた柳橋花街は
戦後まで隆盛を極めた

高度経済成長で益々繁盛するかと思われたのが
皮肉にも経済の発展に伴う隅田川の汚染により
川辺はメタン臭に溢れ花火大会も中止
旦那衆も世代交代で
客足は格式張った料亭などより
銀座のクラブへと流れていった

石塚稲荷の玉垣には今も
嘗ての料亭や芸妓屋の名が刻まれている
銀座のクラブの店の名前なんて
百年後には確実に残ってないだろう

柳橋花街はプライドと意気と
意志を持ってそのまま留まり
自ら滅びゆく道を選んだのかもしれない
その姿は儚くまた美しい

激しく変わる状況の中で
人も組織も変化を強いられる
変化に気付かず過去の経験に縋り
ぼうっとしたまま
茹でガエルのように滅んでいくのは
あまりに醜く
無様だ





石塚稲荷神社
東京都台東区柳橋1-1-15