二社神社 ― 2014年08月09日 21時44分00秒
足を踏み入れるのにも躊躇するような
何方かの居宅と居宅の隙間の奥の
さらに何方かの居宅の玄関の傍に
その神社はある
由緒書きなどある訳もなく
出自不明な小祠
東京の街にはこんな神社が無数にある
二社神社という名前だけが手掛かり
当然二つの神社が合祀されているという意味だろう
日本人は神社を勝手に動かすのを憚る
そんな心理がどこかで働く
周りの人も家も移り変わっていく中で
神社だけはそこに残り
遠い過去を現在に伝える装置となる
ネットで閲覧可能なので(goo古地図)
江戸切り絵図という古地図を見てほしい
何方かの居宅と居宅の隙間の奥の
さらに何方かの居宅の玄関の傍に
その神社はある
由緒書きなどある訳もなく
出自不明な小祠
東京の街にはこんな神社が無数にある
二社神社という名前だけが手掛かり
当然二つの神社が合祀されているという意味だろう
日本人は神社を勝手に動かすのを憚る
そんな心理がどこかで働く
周りの人も家も移り変わっていく中で
神社だけはそこに残り
遠い過去を現在に伝える装置となる
ネットで閲覧可能なので(goo古地図)
江戸切り絵図という古地図を見てほしい
現在の二社神社のあるあたりには
榊原式部大輔の下屋敷があり
秋葉社と稲荷の2社が隣接してるのが確認できる
恐らくはこの2社が合祀されたものと見て間違いない
見方を変えると
この二社神社の存在によって
榊原式部大輔の下屋敷がかつて
此処にあったということを実感させてくれる
榊原康政は徳川家康に仕え
徳川四天王とも呼ばれた武将
歴史の中で榊原家の人々が
この下屋敷を捨てて出て行った場面がきっとあった
侍の時代は終焉を迎え
その子孫達の行く末は知らない
新潟県上越市に
榊原康政を祀る榊神社という神社があるらしい
廃藩置県で高田藩が廃止となった明治四年に
家臣達が広く領内で寄付を募って建立したそうだ
案外榊原家の人々が
この古石場の下屋敷を捨てるにあたって
その痕跡を未来へ伝えようと
我らが始祖康政を合祀し
そして何処かへと消えていった
なんていうお話の方が面白いなあ
榊原式部大輔の下屋敷があり
秋葉社と稲荷の2社が隣接してるのが確認できる
恐らくはこの2社が合祀されたものと見て間違いない
見方を変えると
この二社神社の存在によって
榊原式部大輔の下屋敷がかつて
此処にあったということを実感させてくれる
榊原康政は徳川家康に仕え
徳川四天王とも呼ばれた武将
歴史の中で榊原家の人々が
この下屋敷を捨てて出て行った場面がきっとあった
侍の時代は終焉を迎え
その子孫達の行く末は知らない
新潟県上越市に
榊原康政を祀る榊神社という神社があるらしい
廃藩置県で高田藩が廃止となった明治四年に
家臣達が広く領内で寄付を募って建立したそうだ
案外榊原家の人々が
この古石場の下屋敷を捨てるにあたって
その痕跡を未来へ伝えようと
我らが始祖康政を合祀し
そして何処かへと消えていった
なんていうお話の方が面白いなあ



二社神社
東京都江東区古石場2-7-3
コメント
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://dandyhandsomeboy.asablo.jp/blog/2014/08/09/7410269/tb
※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。