椙森神社2014年09月07日 08時52分01秒

どうしたんだろう
あんなに揺られてたのに
あんなにプカプカしてたのに
音が聞こえる
ザザザァって聞こえる
お母さんに抱かれてよく聞いてた音だ
お母さん
お父さん
どこにいるの
ここは狭くて暗いよ
僕は自分で立ったりできないんだ
ここからは出られない

眩しい


日本橋の椙森神社
祭神は五社稲荷と恵比寿大神
由緒にはこうある

「当社は遠く一千年の昔、田原藤太秀郷、将門の乱を鎮定の為、戦勝を祈願するを始めとする。文正元年、太田道灌、雨乞祈願に霊験あり、五社稲荷大祭を遷し祭祀する。江戸時代には江戸三森の一つに数えられ恵比寿大神を祭祀す。」

将門派の私はアンチ将門神社には
あまり興味が湧かないのだが
この由緒にはなんだか疑問を感じた

道灌が雨乞い祈願のため稲荷を祀った
江戸時代に恵比寿大神を祀った
では
田原藤太秀郷は一体
誰に将門征伐を祈願したのだろうか

江戸城下のど真ん中にあるこの神社は
商売繁盛の恵比寿講で商人達の絶大な信仰を集め
今の宝くじの起源である富札を発売し
江戸庶民の間で大ブームを巻き起こしたという
都市で暮らす人々のニーズに上手に応えていった
まさに都市型神社の典型と言える

兵庫県の西宮神社や
大阪ではえべっさんと呼ぶ今宮戎神社などは
勿論エビス様で有名なのだが
元々はイザナギイザナミの最初の子である
蛭子命ヒルコノミコトを祀っている
蛭子はエビスとも読み
後々仏教の神様の恵比寿と習合していったと言われる

蛭子は生まれて三年過ぎても
立つことが出来ない骨無し子であった
グニャグニャな奇形児であった
夫婦は不具の子を船に入れ海に流してしまう
漂着した地が今の西宮神社だという
異形の子に不思議な力を感じたのかもしれない
蛭子は人々の信仰の対象となった

都市で暮らす人々にとっては
商売繁盛や宝くじ1等賞など
目の前の欲や願いが叶えばそれで良かったのだろう
悲惨な出自を持つ異形の神様より
釣り竿を担いだ人の良さそうなデブの親爺の方が
受け入れられたに違いない

漂着した舟の扉を開けるように
その上っ面をめくってみる
この椙森神社のある場所で
尋常でない平将門のパワーに対抗すべく
田原藤太秀郷が祈願したのはきっと
不思議な力を発揮する異形の神
蛭子命だった
と私は思う



椙森神社
東京都中央区日本橋堀留町1-10-2


神田明神その3〜mement mori2014年09月20日 22時54分52秒

あいつは死んでしまった
手紙をもらったのが一年前か
大腸ガンだと書いてあった
俺にも精密検査行った方がいいですよと書いてあった
まだ行ってない
少しでも笑ってくれるかと
俺は神田明神の隣で買った
将門キューピーを送った
そしてこの夏
奥さんと三人のまだ小さい子供を残し
あいつは死んでしまった

悲しみの矢は突き刺さって抜けやしない
こめかみを貫いた矢のように

神道では死は忌避される
ケガレと捉え遠ざける
身内が死んだら五十日は神社に来るなと言う
死の前で神は無力を露呈する
長い歴史の中で
死の領域までカバーする仏教に
軍配が上がっていったのは当然かもしれない

だけど怒りと欲に満ちた無知な私達は
お釈迦様の言葉を理解できず
いつまでもお坊さんのお経をありがたがったり
意味不明の呪文に不思議な力を信じたりしてる

お経はもともとはお釈迦様の言葉で
その言葉は死んだ者への供養なんかではなく
はっきりと生きている者へ向けられている

明日とか昨日を妄想しないで
無常の今を生きろと言う
慈しみの心を持って
全ての生命の幸福を願えと言う
自分もまた必ず死ぬのだということを知り
悲しみを超え今を生きろと言う
その言葉は
とてつもなくポジティブで正しい

「家についた火を水で消し去るように、
智慧に満ちた賢者、巧みな人は、
湧き起こった悲しみを、
風が綿花を吹き払うように、即座に消す。

自分の憂い、未練、悲しみを引き抜くこと。
自分の幸福を求める者は、
刺さった箭を引き抜くのである。

箭を引き抜き、涼やかになり、
こころのやすらぎを得る。
一切の悲しみを乗り越えて、
悩みなき寂静に達する。」
(「箭経」アルボムッレ・スマナサーラ訳)
※箭:矢のこと。




神田神社
東京都千代田区外神田2-16-2

姥ヶ池福寿稲荷大明神・姥宮沙竭羅龍王2014年09月25日 22時55分03秒


ばあちゃんは孫に語りかける
この池の残酷な鬼婆の物語を
哀れな娘の末路を
観音様の慈悲と救いを

孫は恐ろしくて
その夜布団の中で
いつまでも眠れない

語り継がれた戒めも今や無効となり
浅草寺にはお土産とグルメを求める人だけが集まる
この小祠の残る公園の前には
大量の外国人を乗せたバスが停まる

子供は無邪気にバーチャルな殺人に酔い痴れ
そのまま大人になってしまった輩は
幼い子供を平気で殺す
遠い伝説よりも遥かに恐ろしいことが
現実に起きている

孫達はまるで聞く耳を持たない
彼等は彼等にしか通じない言葉で話す
ばあちゃんもじいちゃんも
もう孫達に語りかけない
彼等は何かを教えられる程の人生を歩んでいない

ばあちゃん
教えてくれ
そんなことしたら罰が当たるんだと
じいちゃん
教えてくれ
そんなことしたら
お天道様に顔向けできないんだと




姥ヶ池福寿稲荷大明神・姥宮沙竭羅龍王
東京都台東区花川戸2-4-15

尾久八幡〜愛のコリーダ2014年09月28日 17時49分51秒


大正3年
西尾久二丁目にある碩運寺の境内で温泉が出た
寺の湯は大ヒットとなり
周りに次々と温泉旅館がオープン
さらに芸妓屋や料理屋が集まり三業地へと格上げ
ついこの間まで田圃だったこの地が
一大遊興地へと変貌した

昭和11年
2・26事件が起きるなど社会に不穏な空気が流れる中
この尾久三業地を全国的に有名にした事件が起きる
世に言う阿部定事件
首を絞められ性器を切断された殺人現場に
マスコミはエログロな猟奇殺人を喧伝
三業地は見物客で溢れ阿部定景気に湧いたという

昭和22年
我らが安吾先生
阿部定本人と対談までしちゃってる
破滅へ向かって走り始めた息も詰まるような時代に
反動的に扇情的に書き立てられた
世相に対するジャーナリストの皮肉であると分析する

たった一度なんです
それがあの人なんです
三十二で恋なんて
おかしいかも知れないけど
でも
一度も恋をしないで死ぬ人だって
たくさんいるんでしょう

いたって正常で
純粋で可愛い女性がそこにいた

そして現在
地下水の汲み上げで温泉はとっくに出ない
三味線の音に代わって
子供の練習するピアノの音しか聞こえない
今はもうその面影を探すのは難しい
妙に入り組んだ路地と
新地と書かれた電話の標識くらいか

多分この道を
愛しい人の身につけていた
ステテコとシャツを腰巻きの中に着け
雑誌の表紙で包んだ
包丁で切断した愛しい人の
血だらけの性器を大切に抱いて
阿部定は急いだ

電車道の向こうに八幡さまが見える
待合に入る前に
二人でお参りした
かどうかは
わからない

「お定さんの場合は、更により深く悲しく、いたましい純情一途な悲恋であり、やがてそのほのぼのとしたあたたかさは人々の救ひとなつて永遠の語り草となるであろう。恋する人に幸あれ。」
(「阿部定さんの印象」坂口安吾)




八幡神社
東京都荒川区西尾久3-7-3