葛木二上神社2017年05月21日 20時38分52秒


中大兄皇子と大海人皇子は兄弟である
兄貴が天皇の御前で蘇我入鹿を殺す場面を
弟はどのように見ただろう

兄貴が天皇となり
兄貴の娘たちを次々と妃に迎えた時
弟は何を思っただろう

兄貴の世は終わりを迎え
弟は挙兵する
兄貴が皇位を継がせたかった
兄貴の息子の大友皇子を
自殺にまで追い込んだ

天武天皇つまり大海人の息子
大津皇子と草壁皇子は腹違いの兄弟である
母親はともに天智天皇つまり中大兄の娘
姉妹である
姉の大田皇女が大津皇子の母親
妹の鸕野讚良皇女が草壁皇子の母親

姉は夫の即位前に死んでしまった
大津皇子はこの時5歳
妹は何を思ったろう
将来自ら女帝となるこの妹
この時何を思ったろう

天武天皇が崩御
殯も終わらぬその最中
大津皇子が謀反の疑いで捕らえられた
翌日自邸にて自殺
24歳であった

大津皇子は優れていた
人望厚く
誰もが次の皇位にと
口には出さずとも
思っていた

妹は息子を皇位にと強く願っていた
姉の息子の優秀さを横目で睨んでいた
姉の息子亡き後
彼女は狂喜したに違いない
だがその願いむなしく
息子草壁皇子は3年後に死んでしまう

思い当たることでもあったのか
息子の死は怨霊の仕業であると
一旦葬られた大津皇子の遺体を
二上山の山頂に改めて葬る
そこにはあの
大和の地を最初に治めた
ニギハヤヒとその息子が
名前を変えて祀られている

古代の天皇家は
入り組んだ近親婚の連続で
近親故の怨恨なのか
奇怪な歴史が幾重にも刻まれる
権力欲と兄弟姉妹の確執
現代においても
皇位継承の議論は囂しい

そんな中
皇女と海の王子の物語は
誰かの欲や確執とは無縁の
21世紀のお伽噺に
なってほしいものだ

葛木二上神社

葛木二上神社

葛木二上神社

葛木二上神社
奈良県葛城市加守 二上山雄岳山頂
主祭神 豊布都魂神 大国魂神

コメント

_ チタrc ― 2017年05月25日 12時54分07秒

葛木二上神社は石上神社と並んで物部氏の神社と認識しています。森鴎外の研究によると、中大兄皇子(天智天皇)は、中国殷の最悪の王とゆかりの名前。酒池肉林の語源もこの王の行為より。その王を倒して周王朝を築いたのが武王。鎌足の影響で、百済を再建するために援軍を送り大敗して国家存亡の危機に陥れた天智の次(次の次かも?)が天武とは、できすぎているのかな?

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