新世界稲荷神社2015年11月15日 16時35分49秒


そこは新しい世界
貧しさも
啀み合いもない
優しい世界
日が暮れても
この街は眠らない
光が溢れるその底で
人々は穏やかに
いつまでも笑い合う

大阪に住んでる人は
わざわざ新世界には行かない
大阪のビジネスマンは
新世界には繰り出さない

生産力を内外に示すべく
明治36年に
大阪で開催された内国勧業博覧会
9年後その会場跡に
大阪の新名所「新世界」が開業する

三方向に拡がる放射状の街路
西洋建築が軒を連ねる
凱旋門にエッフェル塔を載せた初代通天閣
ニューヨークの遊園地を模したルナパーク
西欧列強へのコンプレックスを
此処ぞとばかりに爆発させる
ニューヨークとパリをイメエジした
一大テーマパークが誕生する

程なく隣接して動物園と
飛田遊廓がほぼ同時期にオープン
子供から大人まで
あらゆるニーズを満たしてくれる
まさに夢の新世界が此処にあった

戦争の時代
空襲で打撃を受けた通天閣は解体
街は灰燼に帰す
戦後10年
現在の二代目通天閣が建設される

日本中が焼け跡から
新世界として生まれ変わる時代に
何故だろう
此処では全てが
澱のように溜まっていく

あいりん地区から集まる安酒を求める労務者達
街角に立つ私娼と男娼
林立するストリップ小屋とポルノ映画館
日本中が消毒され漂白される中で
この街だけは
取り残されたように
アルコールと塵芥と小便の臭いが消えない

古代には海であったこの地
四天王寺が建立された頃には
海に向かう広い窪地ができ
塵芥やら死体やらが
無造作に捨てられ溜まっていく
明治以前までは
処刑された死体を処理する
少数の非人以外は
人の住まない淋しい荒地であった

新世界の創始者は
そんな土地の謂れをきっと知っていたのだろう
街を整備すると同時に
中心に程近い場所へ
稲荷神社を勧請した
ニューヨークとパリをテーマにした街に
およそ似つかわしくない
神社が置かれた

此処を訪れる人は
土地の記憶の質量を
無意識に感じるのかもしれない
漂白された人々はますます足を遠ざけ
死に近い酩酊とエロスだけが
窪地の底に沈殿していく

どういう訳かここ最近
この新世界に
観光客が集まるようになったそうだ
串揚げに行列し
ビリケンさんと写真を撮る
いつまでも完結しないバーチャルな世界に
飽きたり疲れたりした人達が
質量のある新しい世界を
此処に見つけたのかもしれない

さすがにディズニーランドや
ユニバーサルスタジオジャパンに
神社を見つけることはできない
何の謂れもない埋立地の上に作った
質量のない漂白された世界
案外ディズニーランドの管理事務所には
こっそり神棚があったりしてね

新世界稲荷神社

新世界稲荷神社

新世界稲荷神社

新世界稲荷神社
大阪市浪速区恵美須東1-16-1

電光稲荷神社〜地図にない町32015年07月20日 11時42分46秒


睨み合いを続けていた機動隊が動いた
逃げ惑う群衆
武装した機動隊員が
逃げ遅れた男の顔面を蹴り上げる
丸腰の群衆は投石で反撃だ
火炎瓶がアスファルトを焼く
これはニュースで見る
遠い国のお話ではない
でもみんな
遠い国のお話だと思ってる

そこは海岸だった
古代に住み着いた
海人らの時代から
そこは釜ヶ崎と呼ばれていた

大阪の街が発展拡大するのに従い
大阪の街の外れの
この湿った窪地に
墓地と刑場が作られる
死体を処理する非人が住む以外
その周辺はただ荒地が広がるだけだった

明治になって
大量の人の流入が始まる
博覧会開催のため
スラムの人々を強制的に移住させたのだという
荒地に突如テーマパークが建設され
夜な夜な電光が煌めく
まさに新世界が誕生する
近くには巨大な遊郭が堂々オープン
あぶれる客を目当てに
売春婦や男娼が蠢く
オカマの語源は釜ヶ崎のカマなのだそうだ
ヤクザや芸能人
あらゆる人間がここに集まり
釜のなかは煮えたぎっていく

空襲で町は壊滅する
戦後の大阪市政は貧困と浮浪者対策を重視
結果として西日本各地から
大阪市へ浮浪者層が流れ込んでくる
あちこちに形成されたドヤ街
街の記憶なのだろうか
ドヤ街はいつのまにか
釜ヶ崎一箇所へ集約
町は行政からあいりん地区と名付けられる
歓楽街はキタやミナミが主流となり
残された釜の中はただただ
理不尽と抑圧だけが沸騰している

安く泊まれるということで
昨今は外国人のバックパッカーが増えてるらしい
この日も外国人の団体が道を塞ぐほど
その先にこじんまりと電光稲荷神社はあった
電光という名前が変わってるので調べると
明治の時代に
電光社というマッチ工場があったそうだ
工場建設に
貧民救済の目的があったかどうかはわからない
おそらくはその工場に祀られ
工場労働者達に親しまれた
お稲荷さんだったのだろう

遠い国のお話ではない歴史
遠い国のお話ではない現実
国や行政がどうするつもりかは知らない
どうすべきかなど語る資格も力量もない
ただ遠い国のお話ではないことだけは
知っておかねばならない
と思う

電光稲荷神社

電光稲荷神社

電光稲荷神社

電光稲荷神社
大阪府大阪市西成区太子1-10-16

烏森神社〜将門調伏②2015年03月07日 16時10分55秒


はい
いまSL広場の所にいるんですが
冷汗と脂汗を垂らし
携帯で話しながら
私も
隣の男も
なかなか相手を見つけられずにいる

それはサラリーマンだからね
上が言うんだからそうなんだろうさ
自虐と諦念がアルコールで花開く
明日のためにと言い訳し
痛みと思考を麻痺させる

黒いスーツの男達が
夕暮れの新橋駅前に群れ集う
掴むものは少ないけれど
いつかきっと
いつかきっとと

JR新橋駅烏森口から程近く
烏森神社がある
意図はわからないが
鉄筋コンクリート製の
斬新的なデザインの神社だ

此処も平将門の調伏に関係する神社である
俵藤太秀郷が戦勝の記念に
此の地に稲荷社を勧請したのが始まりだという
知ってか知らずか立地からか
参拝する人は後を絶たない

東京には神田明神や筑土神社など
将門を祭神とする神社がある一方
将門調伏を掲げる神社もまた多い
江戸っ子は将門が好きなんて
短絡的な理解では足りないようだ

誰だって先ずは自分の利を考える
悪政と言われる時代でも
そこから利を得ていた人が
大多数存在するのは当然だ

痛みに耐え
だけどしたたかに
自分の役割を粛々と果たす
そこそこの生活の継続
それを望むのもまた正しい

でも本当は
それじゃあ満足できない
理不尽な仕打ちに
馬鹿げた世界に
欲なのか怒りなのか
将門の登場に
そんな大多数の人々は
変革を期待する

東京の街に相反する
二大勢力の神社が混在する姿は
歴史の中に埋もれた
大多数の人々の生き様を浮かび上がらせ
それはまた
歴史に埋もれゆく
現在を生きる我々の生き様に
重なるようにも見える

かつて此処は
波が打ち寄せる砂浜と
烏が群れ集う松林
黒いスーツの男達が
今日も此処に群れ集う

烏森神社

烏森神社

烏森神社

烏森神社
東京都港区新橋2-15-5

水稲荷神社〜将門調伏①2015年02月15日 13時58分46秒


将門は無敵だ
あいつの全身はまるで鋼なんだ
弓矢など屁の役にも立たない
お前はあいつの弱点を知っている
桔梗
あいつへの情がまだ残っているのか
何てことだ
桔梗
こっちへ来い
お前はもう俺のものだ
桔梗
言え

平将門が最も寵愛したという妃
桔梗は俵藤太秀郷に内通し
将門の秘密を教える
秀郷はしかしその後
桔梗を殺す

俵藤太秀郷は生没年不詳とされているが
将門を討った頃はかなりの高齢だったそうだ
百足退治の頃は快活な若者だったのだろうが
そんな片鱗は既になく
敵の妻をネチネチとたらし込む狡猾な印象
いつの世も老人のイヤラシさは救いがない

将門を討ったことで
彼は朝廷から絶賛を浴びたことだろう
なにせ将門謀反の報に宮中は大騒ぎで
歌を詠んだり蹴鞠をしたり
夜這いをするしか頭にない無能な貴族連中は
まるで絵に描いたように
あたふたするしかなかったのだから

朱雀天皇は将門滅亡を七大寺に祈祷させ
八大明神に調伏祈願を命じた
日本中で護摩を焚いたり呪文が鳴り響く
成田山新勝寺もこの時
将門調伏のため創基されたという

早稲田にある水稲荷神社も
将門調伏の伝説を持つ神社だ
将門討伐の翌年
俵藤太秀郷が富塚の地に稲荷大神を勧請したという
戦勝を記念したというが
何故こんな武蔵の国の古墳の上に
神社を建てるのが戦勝記念なのか
よく考えると
よくわからない

将門の寵妃桔梗の屍が埋められた土地には
桔梗の花は二度と咲かないと言われている
そんな桔梗の伝説は関東の広い範囲で伝播した
そして事実は様々な虚構へと変容していく

実は桔梗は秀郷の妹であった
桔梗の口を封ずるため秀郷が殺した
将門に桔梗が靡いたため嫉妬で秀郷が殺した
桔梗が密通したことを知り激怒して将門が殺した
優しさを失った将門を嫌い桔梗は自害した
などなど

桔梗は将門を裏切った悪女であるとか
秀郷に無理矢理手篭めにされた悲運の姫だとか
様々な伝承に様々な解釈で様々な物語が生まれたが
将門と桔梗の二人はやはり最期まで
お互いを思い続けていたという
ベタな結末を期待したい

今だって
大手町の将門首塚の傍には
皇居の桔梗門がそっと寄り添っているのだから

水稲荷神社

水稲荷神社

水稲荷神社

水稲荷神社
東京都新宿区西早稲田3-5-43

花園神社〜新宿の片隅で2015年01月25日 16時51分16秒


しゃがれた声で歌うその歌は
東京そのものだった
その歌で歌われる新宿が
僕らの東京だった

「知らない街でポリバケツを被って
それでも笑っていたさ
怖いものなんて何もなかったから」
(「街は今日も雨さ」SION)

嘗て沢山の花が咲き乱れていたこの地
いつの頃からあったのか誰にもわからない稲荷社
世は乱れ
大勢の人々が移動を繰り返し
その足跡が大きな道となった

統治者が現れ
此処は新たな宿場町になった
大勢の人々が密集する
人々は非日常の快楽を求め
それらを満たす供給者たちが
次から次に発生する
境内はいつも縁日の賑わいだ

戦争が終わり
焼け野原となった街
敗北で腑抜けになっている暇などなく
不法のバラックが逞しく
食と酒と性を求める人を集める
全焼した社殿の再建資金を集めようと
境内で見世物や演劇の興行が始まった

平和な世となった
神社の目と鼻の先は
東洋一の歓楽街と呼ばれる街になる
あらゆる欲望を満たすメニューが揃い
人々は非日常のスリルを求め
取り憑かれたようにこの街に集まる

一攫千金や成功を夢見て
日本中いたるところから
東京に人が集まる
俺を買ってくれと
きっと誰かが買ってくれると信じて

その歌を聴いて
東京に出て行ったあいつは
そして敗北して田舎に帰ったあいつは
今どこでどうしているかわからない
預かったレコードはまだ持ってる
今でも歌い続けるシンガーは
今だってしゃがれた声で
前を向いて生きろと歌う

「後ろに歩くように俺はできていない
今日を行くだけだ たとえ亀より遅くとも」
(「後ろに歩くように俺はできていない」SION)



花園神社
東京都新宿区新宿5-17-3