鳥越神社〜鳥越幻影③2013年07月05日 22時50分58秒

天慶三年(940年)二月
俵藤太秀郷(藤原秀郷)の放った矢が
将門のこめかみを貫いた

新皇を宣言し朝敵とされた平将門の首は
その後京都へと運ばれる
都で晒された将門の首は しかし
俺を殺すことなど出来るかと喋り出し
突如豪快に嗤いながら東に向かって飛び始める

岐阜の辺りで一度射落とされるが
それでも負けない将門
関東の地で首は白鳥明神の上を飛び越える
飛び越えたので後、鳥越明神と呼ばれるようになる

首が着地したのが現在の大手町1丁目
首塚のある場所である

体はバラバラにされ鎧や兜などと各地に埋められる
そしてここ鳥越神社には
将門の手が埋まっている

鳥越神社の祭神は日本武尊と家康と
藤原氏の祖神である天児屋命アメノコヤネノミコト
将門の名前は無い
そして
得体の知れない伝説もまた
オフィシャルな由緒書きには
書かれていない


鳥越神社
東京都台東区鳥越2-4-1

築土神社〜飛地の氏子2013年04月21日 16時36分59秒

築土神社は平将門を祀る神社だ
古来、大手町の首塚と共に在ったものが
時の偽政者達、太田道灌や家康らによって
宮城守護目的の重要ポイントへ
度々移転をさせられている

ここら辺の詳細は加門七海さんの名著
「平将門魔方陣」へ譲るが、
築土神社は、今は九段北の近代建築の狭間に
クールな出で立ちで鎮座している

市谷船河原町という町がある
築土神社から西方、外堀通り沿いにある丁番のない町だ
ここになぜか築土神社の飛地社が在る
もちろん祭神は平将門だ

この町も古来、大手町付近にあったそうだ
家康による神社移転と時を同じくして
神社周辺の代地への移転を強いられ
戦後、神社の現在地への移転の際
町民は取り残され
分祀を行い飛地社を設けたそうだ

神社が遠くなるのでという理由が由緒にあるが
その歴史を見ると
平将門との繋がりを持つ一族、という想像が浮かぶ
将門の首を必死に守り
そのパワーを自在に駆使する一族
家康はそれを知っていたので
神社と共にその一族を同地に置いた
のかもしれない

大手町の首塚は大正12年に発掘が行われたことがある
その際、石室が発見されたが中は空だったという
将門の首は何時かの時点で秘密裡に移され
何処か重要なポイントで
今だ東京を守護するパワーを
発し続けているに違いない


築土神社
東京都千代田区九段北1−14−21
船河原町築土神社
東京都新宿区市谷船河原町9番地


兜神社と澁澤栄一2013年03月09日 19時03分59秒

東京証券取引所の巨大な建物のそばに
この神社はある
現在でも証券業界の鎮守として信仰されているという

過去この地には澁澤栄一によって創られた日本で最初の銀行
第一国立銀行(現みずほ銀行)があった
敷地内には澁澤栄一の居宅もあったという

神社はそれ以前からあった
この地には平将門の兜が埋められている
あやかったのだろうかその後、源義家が岩に兜を懸けて戦勝を祈願したり
兜を埋めたりしている

日本の資本主義経済の礎を築いた澁澤栄一はビッグな男だ
エイちゃんと言えばヤザワではなくシブサワのことにしたいくらいビッグな男だ
明治維新後いち早く
銀行、証券取引といった民間資金の流動化による経済発展の仕組みを取り入れ
今につながる東京ガス、東京電力、王子製紙、東京海上火災保険、太平洋セメント‥
とあげると切りがない程の企業の立ち上げに携わった男だ

澁澤栄一はここが将門パワーに溢れる地であることを知っていた
王子の飛鳥山の別荘(後に本宅)にこの兜神社を分祀して身近に置くほど信仰していた
銀行と証券取引所の創設という
日本の経済のスタートに相応しい場所としてこの地を選んだのだ

澁澤栄一は財閥を作ったりはせず、慈善事業や教育事業などにも尽力する
「私利を追わず公益を図る」を生涯貫き通した
だが、死後その思想が継承されたとは言えない
岩崎弥太郎から始まる私利を追うだけの経済原理が当たり前のように現在に繋がっている

日々経済活動を続ける我々は覚えておくべきだ
現在の日本経済の発展は
澁澤栄一と将門パワーから始まったということを





兜神社
東京都中央区日本橋兜町1−12
祭神はお稲荷さんと大国主命と事代主命、平将門の名前は何処にも無い


神田明神2013年02月03日 16時46分34秒

平将門は逆賊であるぞと
江戸城を皇居とした今、その鬼門に朝敵がいるなどあってはならんと
明治政府の誰が言い出したのだろう
将門は祭神から外された
天皇の系統の祖であるアマテラスへ国を譲ったオオクニヌシは問題なく残され
将門の席にはオオクニヌシの国造りパートナーであるスクナヒコナが祀られた

だが民衆は反発した
殿様を引き摺り下ろしただけでなく俺達の神様までも奪うのかと
人々は将門を求め続けた
東京の人にとって平将門はヒーローでありスーパースターなのだ

敗戦による明治体制の崩壊と、天皇が人となったのち
昭和59年ようやく将門が祭神として返り咲いた
その間100年
民衆は決して将門を忘れなかったのだ


神田明神
東京都千代田区外神田2−16−2