威徳稲荷大明神2013年09月17日 23時15分36秒

新宿のど真ん中に突如現れる巨大な男根
艶やかな女の白い手が
愛おしそうにそいつを撫でる

新宿花園神社の境内社のお稲荷さんに
木製の巨大な男根が祀られている
無機質な高層建築群の奥底で
こんな過去の牧歌的なものを見つけると
救われた気になる

だけど男根崇拝の心理は
過去のものだけでもないようだ
オリンピックの東京開催が決まり
経済効果が高まるらしい
仕事が増えて結構なことだが
それに便乗して
お台場にカジノを作るだの
地下鉄を24時間にするだの
欲を助長すれば経済が上向くだろうなんて
馬鹿にしやがって
行政の考えることはいつの世も
どうせ碌なもんじゃない
これから先
いくつもの男根を載せた神輿が登場するんだろう

アスリートのストイックさは学ぶべきことだ
勝利のひととき乱痴気騒ぎをするのも大いに結構
だけど
ヒステリックな健康指向や
上っ面のナショナリズムや
体育会的なファシズムを強要するのは
どうにも勘弁してくれ

男根崇拝的でまた兵隊気質丸出しの
奴らの下卑た冷やかしが僕の心臓を荒ませた
(「裏切られた心臓」A.ランボー、堀口大學訳)




威徳稲荷大明神
東京都新宿区新宿5丁目17-3 花園神社境内社

津の守弁財天2013年07月21日 16時58分50秒

石段を底の方へと
写真家は降りていく
擂鉢の底へ
エロスとタナトスを探して
写真家は降りていく

美濃国高須藩藩主、松平摂津守の上屋敷が
明治維新の後開放され
擂鉢状の地形の底に
溜まるように花街が形成された

擂鉢の底には
4mに及ぶ滝があり
池の畔の弁天様は
町人に人気があったのだろう藩主を偲び
津の守弁財天と呼ばれるようになる

男達もまた
花街を目指し降りていく
三味線の音と
白粉の匂いの溜まる
擂鉢の底へ
降りていく

酔狂の果てにも
欲は満たされることなく
擂鉢の底に溜まり続けるが
傍らに置かれた弁財天が
生から死への出口装置として機能し
人はその装置をくぐらないまでも
再び生きるということを
思い出すのかもしれない

無機的に計画された都市整備には
そんな出口装置が無い為に
人は出口を探して彷徨い
無理矢理こじあけた扉の向こうへ
行ってしまう

この町と同じ名前の天才写真家は
1枚の写真にエロスとタナトスを同時に焼き付ける
この町を写した
あの猥雑なノイズに満ちた被写体を探してみたが
擂鉢の底から見上げても
なんだか間の抜けた空が広がってるだけだ





津の守弁財天
東京都新宿区荒木町10

築土神社〜飛地の氏子2013年04月21日 16時36分59秒

築土神社は平将門を祀る神社だ
古来、大手町の首塚と共に在ったものが
時の偽政者達、太田道灌や家康らによって
宮城守護目的の重要ポイントへ
度々移転をさせられている

ここら辺の詳細は加門七海さんの名著
「平将門魔方陣」へ譲るが、
築土神社は、今は九段北の近代建築の狭間に
クールな出で立ちで鎮座している

市谷船河原町という町がある
築土神社から西方、外堀通り沿いにある丁番のない町だ
ここになぜか築土神社の飛地社が在る
もちろん祭神は平将門だ

この町も古来、大手町付近にあったそうだ
家康による神社移転と時を同じくして
神社周辺の代地への移転を強いられ
戦後、神社の現在地への移転の際
町民は取り残され
分祀を行い飛地社を設けたそうだ

神社が遠くなるのでという理由が由緒にあるが
その歴史を見ると
平将門との繋がりを持つ一族、という想像が浮かぶ
将門の首を必死に守り
そのパワーを自在に駆使する一族
家康はそれを知っていたので
神社と共にその一族を同地に置いた
のかもしれない

大手町の首塚は大正12年に発掘が行われたことがある
その際、石室が発見されたが中は空だったという
将門の首は何時かの時点で秘密裡に移され
何処か重要なポイントで
今だ東京を守護するパワーを
発し続けているに違いない


築土神社
東京都千代田区九段北1−14−21
船河原町築土神社
東京都新宿区市谷船河原町9番地


鮫ヶ橋せきとめ神2013年02月24日 15時48分49秒

何故東京の街中に乞食や浮浪者がこんなに溢れるのかと
明治政府は驚愕した
良くも悪くも江戸の行政システムとして存在していた弾左衛門や車善七といった機能は崩壊させたのに
階級社会の上っ面を変えただけでは、その末の歪みは当然のことであったろう
貧しい人々は谷底に集まった
目の前に東宮御所が位置するじめじめとした湿地に巨大なスラム街が出現する
谷底は汚物と伝染病と飢餓の坩堝と化す
陸軍士官学校から排出される残飯が有価物として取引され
彼らはなけなしの金でそれに群がる

いつから在ったものだろう
小祠が現在に残っている
鮫ヶ橋という地名は消滅し
きれいな公園に整地された谷底では
子供達が野球の練習に精を出す

人々は何処へ行っただろう
つい百年前のことだ
小祠は祈りを集めただろう
保証なき残酷な世界からの救済を
あるいはささくれ立った精神は
そんなことを考える余力すら無かったかもしれない

戦後、新興の巨大宗教組織がそんな谷底に出現し
困窮する者たちは飲み込まれ
この小祠には咳止めに効くという伝説だけが残り
もはや此処を訪れる者は少ない



鮫ヶ橋せきとめ神
東京都新宿区南元町20