坐摩神社〜ココニイルコトヲシル12015年10月12日 12時04分14秒


砂州が生まれたり水没したり
川岸も海岸線もまだはっきりとしない
淀川の河口付近
渡辺津と呼ばれるその地に
屈強な戦闘集団が集落を形成していた

戦は続く
彼等は武装し
船を操り
源氏の郎等として歴史に登場した彼等
その戦闘集団は畏れを込めてこう呼ばれた
渡辺党

遡れば彼等の祖先は
天皇のキヨメの儀式を執り行う一族であった
祭祀こそが政治であった古代
一族は権威を誇ったに違いない
周りからは畏怖の眼を持って見られたことだろう
産まれる女の子は一定の年齢に達すると
神に仕える巫女になった

彼等の神が坐摩神である
坐摩はイカスリと読む
居所知ココニイルコトヲシル
という意味だそうだ
居ることを知った神が鎮座するこの地を中心に
一族は勢力範囲を全国に拡げていく
日本人の苗字で結構多い
渡辺さんは皆ここからきている

神職を継承しつつ
戦闘集団として発展していく一族
同時に様々な職能集団を抱える
川を挟んで
南岸には武士と神官が
北岸には鉄や革を扱う武具職人や
神事にキヨメを実行する人々が住った

いつまでも世は乱れたまま
戦乱の日は永遠のように続く

豊臣秀吉は渡辺党を嫌った
土着の人々にとっては
よそ者による支配など許されず
激しく抵抗したのかもしれない
ずかずかと難波の地へ入ってきた秀吉は
古代から住み慣れたこの地を奪う
ここが聖地であることを知っていたのか
秀吉はこの地に
大阪城を築く

彼等は
砂州の上にできた新興の土地に
集団移住を強いられた
彼等の神様と一緒に

新興の土地は船場と呼ばれ
無縁の人々で構成される商都へと発展していく
渡辺一族もイカスリの神も
いつしか街の中へ溶け込んでいく
だが
ここからもう一つの渡辺村の話が始まる
大阪の街が抱く巨大な矛盾は
この時すでに
決定していたのかもしれない

坐摩神社

坐摩神社
大阪府大阪市中央区久太郎町4丁目渡辺3

坐摩神社

坐摩神社行宮
大阪府大阪市中央区石町2-15