難波神社 ― 2016年01月10日 23時17分37秒
山崎豊子の船場狂いという短編の小説を読んだ
四方を堀で囲まれた
大阪を代表する商業の街
船場
橋を渡ったその内側には
日本中どこにも類を見ない
独自の異世界が広がっていたことがわかる
慣習や仕来たりだけでなく
ある意味
言語に至るまで
独特の文化が
そこにはあったようだ
商家の奥さんは、ごりよんさん
隠居後は、おえはん
女の子は、いとはん
男の子は、ぼんぼん
独特の呼称は
この船場の中でだけ使うことを許され
同じ商人でも
外側の人間は憧憬を持って
その様を眺めていたという
古代には海だったこの地に
長い時間をかけて
淀川が大量の砂を運び砂洲を形成する
支配者と
被支配者たる農民で成立していた社会
そこから逸脱する者たちは
いつしかこの砂洲の上で
商売を始める
しがらみのない新興の土地に
しがらみのない者たちが集まる
それはいつ頃なのだろう
歴史の上っ面に現れるのは
いつも支配者と農民の関係だけで
その陰で商人たちは好き勝手に蠢いていた
教科書に現れるのは
江戸時代の天下の台所くらいで
なんだか暗記するのもつまらない事柄だが
その時点で大阪の商都は
充分なまでに完成していたわけだ
物と物との等価交換から
通貨というバーチャルな価値の発明
支配者が気付く頃には
商売は既に専ら行われているものだった
ドラッカーが
マネジメントの概念を発見するずっと前から
商人たちは強かにビジネスを展開していた
為政者によるナントカミクスなんて
きっと冷やかに見るに違いない
長堀川
大川
東横堀川
西横堀川
まるで吉原遊郭のように
四方を堀で囲った小宇宙
戦争の空襲で
そのすべては破壊され
ぎっしりと建ち並んでいた店屋敷は
企業の大阪支店の入ったビルに置き換わる
今や商人の街のイメージだけが残り
古代から繋がる商人の末裔を
見つけることは難しい
小説にも登場する難波神社は
秀吉が大阪城を築城した頃に建てられた
おそらく華々しく発展する船場の象徴として
商人たちが持ってきたのではあるまいか
伝説の高津の宮の主
仁徳天皇を配したのは
古代の記憶のなせる業かもしれない
為政者によるナントカミクスなんて
きっと冷やかに見るに違いない
長堀川
大川
東横堀川
西横堀川
まるで吉原遊郭のように
四方を堀で囲った小宇宙
戦争の空襲で
そのすべては破壊され
ぎっしりと建ち並んでいた店屋敷は
企業の大阪支店の入ったビルに置き換わる
今や商人の街のイメージだけが残り
古代から繋がる商人の末裔を
見つけることは難しい
小説にも登場する難波神社は
秀吉が大阪城を築城した頃に建てられた
おそらく華々しく発展する船場の象徴として
商人たちが持ってきたのではあるまいか
伝説の高津の宮の主
仁徳天皇を配したのは
古代の記憶のなせる業かもしれない



難波神社
大阪府大阪市中央区博労町4-1-3
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