住吉行宮2016年07月18日 16時11分33秒


「皇室を敬愛する国民の心は、千古の昔から変わることはありません」「125代という悠久の歴史を重ねられる連綿とした皇室のご存在は、世界に類例をみないわが国の誇るべき宝というべきでしょう」(日本会議HP「日本会議が目指すもの」)

第97代後村上天皇は
この住吉行宮で崩御した
第96代後醍醐天皇の第七皇子
即位前は義良ノリヨシ親王と呼ばれた

義良親王が天皇として即位した時
京都にはもう一人
光明天皇という天皇がいた
天皇が二人いた時代
世の中が乱れに乱れていた時代

民衆は時代に翻弄され
兵士として担がれては死んでいき
二つの行政の異なる施策に
混乱は極まる

第99代後亀山天皇から
北朝系の後小松天皇に
三種の神器が渡され
南北朝は合一する

その後
南北どちらが正統かの議論が延々と続く
系図からは
北朝系が今に繋がるのは明らかなのだが
宮内庁の天皇系図では
南朝系の天皇が正統であるという
北朝系は北1北2と表記される

正統も何も
この時代は天皇が二人いた
でいいわけで
第何代と数えようとするから
おかしなことになる

なんとなくタブーとされる天皇の議論が
俄かに噴出してきた
明治から戦前までの
ほんの僅かな間にだけ有効だった
苔の生えた言説を吐く奴もきっと出てくるぜ
気をつけろ

この住吉行宮で数年間
後村上天皇は暮らした
言わばここは皇居である

現在扉は閉ざされ
中に入ることはできない
というか
わざわざ訪れる人も少ない
中には「後村上天皇 住吉行宮正印殿址」の石碑と
三つの小さな神社が
左右に並んでいる

さて神社だ
一体何の神様が祀られているのだろう

扉の上から
望遠レンズで小祠の扁額を確かめる
向かって右の一つは「結の神社」とある
隣は二文字不鮮明で「⚪︎⚪︎稲荷神社」
左側の小祠は扁額が確認できず
謎の神社だ

検索すると岐阜県に結神社というのがあった
祀られてるのは高皇産霊ほか造化三神
関係はわからないが
南北朝の融和への願い
といったところか

二つ目の不鮮明な文字を息子に見てもらう
二文字目は船だという
なるほど確かに船だ
一文字目は雷ちゃうか?
雷船稲荷神社?
雷と稲の関係はわかるが
それだと船がわからない
船稲荷神社で検索
東京の徳船稲荷が多くヒットする中で
出てきた神社の名前に総毛立った
磐船稲荷神社
これだ
磐船
またしても
ニギハヤヒの登場だ

世の中が真っ二つに割れてしまったのは
ニギハヤヒの怨霊の仕業だと
恐怖に慄く天皇が
或いはその後の人たちが
祀ったものではあるまいか
南朝とニギハヤヒ
妙な関連を感じる

最後の名前もわからない祠
京都への帰還を果たせず失意のうちに
死んでいった後村上天皇その人か
あるいは後醍醐天皇か楠木正成とか
案外正統から外されて不貞腐れてる
北朝系の天皇が祀られてる
なんてことはないか

果たして
祀られてるのは何者か
貴方ならどう考えます?

住吉行宮

住吉行宮

住吉行宮

住吉行宮

住吉行宮
大阪府大阪市住吉区墨江2-7-20

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