浪速神社〜ココニイルコトヲシル22015年10月18日 11時32分48秒


秀吉によって移転を強いられた渡辺一族
古代から共に暮らし戦ってきた仲間は
身分と職業によって
真っ二つに分断される
一方は市街地の中心に
もう一方は外縁部へと追いやられた

行政の暴力的な強制か
あるいはそれは
共同体内部からの声もあったのか
事実はよくわからない

追いやられたのは
牛馬の死骸から皮を剥ぎ
鞣しの加工を施し
武具馬具を製造する職能集団と
キヨメを行う下級神職集団だった

さらに拡大する大阪の街
外縁部が拡がるにつれ
村は幾度も移転を強いられる
そして
木津川のほとり
市街地とたった一本の道で結ばれる
渡辺村が誕生する

徳川幕府は絶対的身分制度を完成させる
武士は偉く
それ以下の下層身分は蔑まれ
ひたすら搾取が繰り返される
まるで気狂い沙汰である
時代劇や大河ドラマで
喜んでる場合ではない

穢多という身分が在った
主に皮革製品を取り扱っていた職業身分のことだ
渡辺村の人々も
そう呼ばれた

その昔に
天皇の儀式を執り行った遠い記憶なのか
畏敬の眼で崇められたプライドなのか
彼等はこの渡辺村に
あのイカスリの神を奉った
ココニイルコトヲシル
ココニイルコトヲシル
呪文のように
アイデンティティーを確かめるように
神の名を呼んだ

渡辺村に通ずる唯一の道
今も地下鉄大国町駅から辿ることができる
旧渡辺道と書かれた道標が
堂々と建っている
旧渡辺道の突き当たり辺りが
イカスリの神を祀る浪速神社だ
今では誰も
ここに居ることを確かめる必要は
無くなったのかもしれない
もうこの時代に
結界は不要なのだと言うように
鳥居の注連縄がブチ切れたまま
ブラリと垂れ下がっていた

浪速神社

浪速神社

浪速神社

浪速神社
大阪府大阪市浪速区浪速西3-10-23

坐摩神社〜ココニイルコトヲシル12015年10月12日 12時04分14秒


砂州が生まれたり水没したり
川岸も海岸線もまだはっきりとしない
淀川の河口付近
渡辺津と呼ばれるその地に
屈強な戦闘集団が集落を形成していた

戦は続く
彼等は武装し
船を操り
源氏の郎等として歴史に登場した彼等
その戦闘集団は畏れを込めてこう呼ばれた
渡辺党

遡れば彼等の祖先は
天皇のキヨメの儀式を執り行う一族であった
祭祀こそが政治であった古代
一族は権威を誇ったに違いない
周りからは畏怖の眼を持って見られたことだろう
産まれる女の子は一定の年齢に達すると
神に仕える巫女になった

彼等の神が坐摩神である
坐摩はイカスリと読む
居所知ココニイルコトヲシル
という意味だそうだ
居ることを知った神が鎮座するこの地を中心に
一族は勢力範囲を全国に拡げていく
日本人の苗字で結構多い
渡辺さんは皆ここからきている

神職を継承しつつ
戦闘集団として発展していく一族
同時に様々な職能集団を抱える
川を挟んで
南岸には武士と神官が
北岸には鉄や革を扱う武具職人や
神事にキヨメを実行する人々が住った

いつまでも世は乱れたまま
戦乱の日は永遠のように続く

豊臣秀吉は渡辺党を嫌った
土着の人々にとっては
よそ者による支配など許されず
激しく抵抗したのかもしれない
ずかずかと難波の地へ入ってきた秀吉は
古代から住み慣れたこの地を奪う
ここが聖地であることを知っていたのか
秀吉はこの地に
大阪城を築く

彼等は
砂州の上にできた新興の土地に
集団移住を強いられた
彼等の神様と一緒に

新興の土地は船場と呼ばれ
無縁の人々で構成される商都へと発展していく
渡辺一族もイカスリの神も
いつしか街の中へ溶け込んでいく
だが
ここからもう一つの渡辺村の話が始まる
大阪の街が抱く巨大な矛盾は
この時すでに
決定していたのかもしれない

坐摩神社

坐摩神社
大阪府大阪市中央区久太郎町4丁目渡辺3

坐摩神社

坐摩神社行宮
大阪府大阪市中央区石町2-15