桜田神社2014年04月05日 17時24分13秒

警視庁はじめ各省庁が建ち並ぶ霞ヶ関一帯は
昔は桜田村といって田地が広がっていた
御神田との境界に桜が植えられたという
江戸城の整備に伴い村人は麻布へ移転を強いられる
村人が信奉していたトヨウケヒメを祀る桜田神社も
一緒に移された
桜田門の名を残し村は消滅した
そして平成の世
六本木六丁目再開発によって
桜田村の麻布の代地は
桜田神社を残し完全に消滅する

桜の季節になると
フラフラと浮かれて木の下で酒を呑んだり
或は憂鬱になって会社を休む人が現れたりする

「桜の花の下へ人がより集まって酔っ払ってゲロを吐いて喧嘩して、これは江戸時代からの話で、大昔は桜の花の下は怖しいと思っても、絶景だなどとは誰も思いませんでした。」(「桜の森の満開の下」坂口安吾)

どうやら我々は大昔の人に比べて
桜に対する感覚が退化して鈍くなっているらしい
それとも無意識に怖しさを知っているので
皆でより集まって酔っ払って
怖しさを誤摩化しているだけなのかもしれない

「桜の樹の下には屍体が埋まっている。」(「桜の樹の下には」梶井基次郎)
「桜は咽せかえるように花粉を撒きながら無言のうちに生殖し生殖しそして生殖している。」(「生物祭」伊藤整)

桜田神社の桜を見上げる
すぐ隣には六本木ヒルズ
フラフラと浮かれる派の人達で溢れてる

大昔の桜田村の人達が
御神田の境界に桜を植えたのは
花見をするためでも風流だからでもなく
桜の持つ「魔」の力を
知っていたからかもしれない
と桜の樹の下で思う




桜田神社
東京都港区西麻布3-2-17

乃木神社2014年02月08日 16時03分05秒

大正元年9月13日
明治天皇の大葬が行われた
その夜8時頃
乃木稀典は妻静子と共に自刃する

この殉死の報は
熱狂的に人々に受け入れられ
当時の東京市長が旗を振り
乃木稀典と静子を祭神とする
乃木神社が建立される

日露戦争の英雄が
夫婦揃って殉死したなんて
当時の人々にとっては
最高に美しい話だったに違いない

一説では静子は決して
望んで死を選んだ訳ではなく
稀典の強くしつこい説得に
じゃあいいですと仕方なく
付き従ったと言う人もいる

本当のところはもう誰にもわからないが
100年近くも経った現在の東京に
乃木夫婦を神様とする立派な社と
巨大な鳥居と
自殺現場が残されている異常さ

軍神は崇め奉られ
沸騰した空気が民衆を政治家を軍人を
全ての日本人を包んでいく

そして十数年後
今日のような大雪の日
あの狂気の沙汰を皮切りに
空っぽの頭で日本人は
まっしぐらに破滅へ向かって突っ走り始めた




乃木神社
東京都港区赤坂8-11-27

赤坂氷川神社2014年02月01日 17時49分52秒

赤坂の氷川神社の傍に勝海舟の居宅があった
海舟はそこでジャーナリストのインタビューを受ける
そんな新聞記事を集めて本を出版した男がいた
海舟は此方は与り知らぬ事だからと
歯牙にもかけない

本はそこそこ売れたらしい
続編の話もあったようだ
言い回しを海舟っぽく
内容は意図的に
維新から三十年経った老人の
茶飲み話に仕立て上げられ
面白い読み物として受け入れられたのだろう

今はそんな出鱈目な内容を正した
再編集版を読む事が出来る
日本の歴史の大転換期におけるキーマンの
言葉と真意に触れる事が出来る
誤った歴史観を流布させないという
歴史学者の責任を全うする素晴らしい仕事だ

「おれはただ行ふべきことを行はうと大決心をして、
自分で自分を殺すような事さへなければ、
それでよいと確信して居たのサ。」

美化されたイメージによる歴史の焼き直しは
相変わらず反復されているが
それでも明治維新前後に活躍した人達は
個々人が自分のなすべき事をわきまえ
その責任をしかっりと抱えて
生きていたことは間違いないと思う

原発をやろうと言った奴は責任を取っていないし
原発を続けると言う奴は責任を取らないだろうし
原発を止めると言う奴もどうせ責任を取らないだろう
そして
僕等もまたその責任の取り方を知らない

勝先生、
日本はこんなんなっちゃいましたよ




氷川神社
東京都港区赤坂6-10-12

久国神社〜太田道灌の夢④2013年12月21日 15時28分44秒

久国神社は
古くは千代田村紅葉(現在の皇居)にあった
道灌が城を築く際
溜池の辺りに遷され
その後徳川によって現在地へ遷座されたそうだ

道灌はまた
城内にも幾つかの神社を置いた
家康の入城以降
平河天神
日枝神社
太田姫稲荷
などは徳川によって江戸の町に再配置された

後楽二丁目にある諏訪神社から
平河天神と日枝神社を結ぶとその先
久国神社にぶつかる
またその線上に靖国神社が乗る

太田姫稲荷元宮から
平川門を結ぶとその先
久国神社にぶつかる
反対側には神田明神が乗る

柳森神社と久国神社を結ぶと
その線上に大手町の将門首塚が乗る


徳川のブレインは
道灌の意図を充分に承知していた
道灌の描いた城の防衛策を取り入れ
更なる完璧な築城術を施した
三百年の安寧がそれを証明する
道灌の夢は引き継がれ
強化と完成を見たのだ

道灌と徳川の神社配置による城の守護は
勿論これだけではないのだが
もうなんか怖くなってきたので
このシリーズは
ひとまずここまでにする

道灌が描いた夢は
この現代の東京にいて
十分に辿ることができる

道灌所縁の神社に行けば
鬱蒼とした森と
幾筋もの川が蛇行する武蔵野に立ち
最強の城を夢見る太田道灌の姿を
きっと見ることが出来るに違いない

「俺は空気だけで感じるのさ
 東京はかつて木々と川の地平線」
(「武蔵野」エレファントカシマシ)



久国神社
東京都港区六本木2-1-16

西久保八幡神社〜太田道灌の夢③2013年12月14日 16時53分23秒

太田道灌は神社を創建しただけでなく
元からある幾つかの神社を移設している

西久保八幡神社もその一つ
裏の崖で貝塚が発見されたという此処は
あるいは古代人の聖地だったのかもしれない

そんな重要ポイントを考慮してか
道灌はこの地を選んだ
完璧な城の構築を目指して

今回はこの西久保八幡神社と
市谷八幡宮と柳森神社を結んでみる
すると
皇居を取り囲むように
鮮やか過ぎる程の
直角二等辺三角形が
浮かび上がる


人のいない境内で煙草を吸う
椿の赤と銀杏の黄色が美しい
新興宗教団体の威圧的な施設が隣接してるせいか
男らしい筈の権現造りの拝殿も
なんだか項垂れてるように見える

急峻な階段を降り
神社の裏手を進む
大資本の心ない目論見が
無秩序なゴーストタウンを拡大してる
蔦に埋まる昭和の民家が
主を失ったまま沈黙している

人間を拒否し続ける美しくもない高層の建築群が
幅だけを主張して
僕を遠回りさせる
なあ
お前等は一体何がしたいんだ



八幡神社
東京都港区虎ノ門5-10-14