姫島神社2017年01月29日 17時13分16秒


太平洋戦争の末期
それまで日本が統治していた南洋諸島が
次々とアメリカ軍に占領されていく
そんな中
帝国陸海軍の軍人軍属31名と
南洋興発株式会社の社員1名および
同社社員の妻1名が
南海の孤島に取り残された
男32人と女1人
1人の女を巡って
殺し合いが始まる
女は島の女王となった
女を求め奪い合い殺し合う男達
その様を眺める女のその瞳は
喜悦に溢れていた

大阪市の西淀川区には
島のつく地名が幾つもある
歌島、竹島、出来島、中島、西島、姫島、百島、御幣島
今ではどこも島なんかではなく地続きの土地だ
遠い遠い古代
まだ海だった此処に
淀川が運ぶ土砂の堆積が
幾つもの島を形成していった名残だという

長い長い時間の中で
島々に半農半漁の集落が築かれていったらしい
人々の暮らしぶりを伝える文献など存在しないが
地名と神社がそのエビデンスとなる

西淀川区姫島には姫島神社がある
祀られているのは女神
阿迦留姫命アカルヒメノミコト
新羅国の沼の畔で昼寝をしていた女が
股座に射した光で妊娠
やがてこの女は赤い玉を産む
その玉がアカルヒメと化したという

周りを海に囲まれた小さな島
その閉ざされた世界で懸命に生きる人々
現れた姫は
熱狂的に受け入れられたのか
或いは疎まれたであろうか
神社の由緒によると
姫は女性達に機織や裁縫
焼き物や楽器を教え
病に苦しむ人には治療を施したとある
進んだ技術と呪術を持って
大陸から渡来した集団だったのだろう
大いに尊崇を持って受け入れられたことは
想像に難くない

情報技術は世界を拡げたのだろうか
結局は限られた人と閉じた場所の往復と
そんな島の生活のような毎日を
誰もが過ごしている
ニュースで言ってる異常な事件は
一人一人の孤島で起きているのかもしれない
女神のいない孤島
であれば
古代人のように
外に漕ぎ出すしかないではないか

この姫
かなり気の強い女だったようだ
調子に乗った旦那が
あんまり罵ったりするので
巫山戯るなと旦那を捨て
日本へやって来たのだという
その後旦那が姫を探して来日するが
二度と顔を合わせなかったそうだ

泣きながら姫を追いかけてきた
この旦那の名は
天日槍アメノヒボコ
その顛末はいつかの機会に

姫島神社

姫島神社

姫島神社
大阪府大阪市西淀川区姫島4-14-2

住吉大社2015年05月05日 12時59分48秒


大阪の街がまだ
商人の街でもお笑いの街でもなかった頃
太陽の没する方向
海の際が世界の涯だった

大陸や半島からたくさんの船が
次々にこの世界の涯を超えてやって来る
船の上からは
光り輝く巨大な古墳や
壮麗に彩られた社が見える

その配置はまるで
海原を行く軍艦の編隊
一隻二隻三隻
直線上に配された社
前衛は二隻
直線と直角を描く
幾何学的なその並びは
圧倒されるほど美しい

身体は腐り果て
その心まで無くしてしまった俺の妻
俺はようやく妻から逃れてこの海に辿り着いた
海でこの穢れは落とせるだろうか
深く深く
潜ろう
底まで
底の底まで

俺は見た
海の底で穢れは落とされ
俺の子が誕生するのを
海の中ほどで穢れは落とされ
俺の子が誕生するのを
海の表層で穢れは落とされ
俺の子が誕生するのを

イザナギの子である
ソコツツノオノミコト
ナカツツノオノミコト
ウワツツノオノミコト
は住吉三神と呼ばれ
その起源はわからない程古い
オリオン座の三ツ星にも例えられる
海で生まれた三神の伝承
古の海人達の
素朴な信仰が浮かび上がる

だが
船を自在に操る海人達は
有事の際に兵力として駆り出されていく
海上での充分な働きに
権力者達は彼等の統治に躍起になる

神功皇后が新羅出兵にあたって
住吉三神より託宣を受けたというシナリオ
皇后は後に住吉三神に合祀され
ここに武神の神格を有す
住吉大神が誕生する

社の配置はそれを物語る
三神の直線の列に
神功皇后が直角に配されたのだ

南北朝の時代には
住吉大社は南朝の重要拠点となる
後村上天皇の仮の御所であり
武神を旗印とする一大軍事要塞であった

大社の前は海だったという
大陸や半島からやってきた船上から
豪壮な社が見えたことだろう
彼等に武神の威厳を見せつけたに違いない
そして軍艦のような社群が示す方角は
ピタリと朝鮮半島を指している

住吉大社

住吉大社

住吉大社

住吉大社
大阪府大阪市住吉区住吉2-9-89

深川住吉神社〜海人族の末裔③2013年08月31日 18時48分55秒

平和な時が続いている
もはや戦に駆出されることもない
将軍もすでに八代目
勇猛果敢であった祖先のことを
覚えている者も少ない

ようやく深川八幡門前の町屋建設の許可が下りた
当然、町名は佃町と付けよう
岡場所で流行る場所だ
陸のビジネスでも一発当ててやるぜ

江戸時代
深川は吉原に匹敵する一大遊里であった
遊女はあひると呼ばれた
別にアヒル口だった訳ではなく
船頭の隠語で二百のことをガァと言ったらしい
揚げ代四百文でガァガァで家鴨だそうだ

公許の吉原とは違い
格式に拘らない気風は
鯔背で御俠な後の辰巳芸者を誕生させる
明治、大正、昭和と遊里は隆盛を極め
バブルと共に完全に消滅する

有事の際の備えであったのに
いつまで待っても有事は訪れず
その機能の記憶も薄れていく
あとは時代と共に立ち居振る舞うしかない

全てが過ぎ去ったこの街に
海人族の末裔が建てた小さな住吉神社だけが残る
佃町の町名も今はない




住吉神社
東京都江東区牡丹3-12-2

住吉神社〜海人族の末裔①2013年08月24日 18時34分18秒

美しかった君はもういない
腐敗した肉体と汚穢に満ちた言葉を吐くあの女は
最早美しかった僕の妻ではない

服も身体もこんなに汚れてしまった
この海でならきっと
身体の汚れも
変わり果てた妻のことも
きれいに洗い流してくれるだろう

イザナギは海へ飛び込み一気に底へと潜る
その時
底で生まれたのが底筒男命ソコツツノオノミコト
中間で生まれたのが中筒男命ナカツツノオノミコト
水表で生まれたのが表筒男命ウワツツノオノミコト

この住吉三神は九州を拠点とした住吉海人族の祖神
新羅を征伐した神功皇后が大阪の地に
住吉神社の総本社を創建した
当時大阪の地は南北に突き出た半島であり
淀川が運ぶ土砂で出来た小さい島が幾つも並んでいた
どうやら小さい島ごとに海人族が住み着き
住吉三神を祀ったのだろう
幾つもの住吉神社の分布を見ると
今でも当時の大阪の海岸線が想像出来る

田蓑島もその一つ
住吉三神を祀る田蓑神社がある
天正年間、徳川家康が多田の廟へ参詣の折り
田蓑島の漁夫等が渡船を勤めた
その際、家康は地名を佃と改め
江戸へ下る際に村人34人を従わせた
後に幕府により干潟を賜り
故郷の名を取り佃島と定め
田蓑神社を分祀し佃島に住吉神社を建立する

田蓑神社のパンフレットには
佃島の漁民は全国何処でも漁をしてよし
税はいらないという特別のご褒美をいただき
本家である大阪の佃も愈々栄えました
人助けにより後々の村の繁栄がもたらされたのです
と締めくくられている

だが
まだ江戸幕府も開かれてない時代
武蔵の地は荒れた湿地にポツポツと村がある程度
親切にしてくれたから連れてってやるぜと言われて
ほいほい着いて行く奴がいるだろうか
あるいは無理矢理連れて行かれたのか
泣く泣く故郷を離れたのだろうか

鍵は
彼等は海人族の末裔である
ということだ



住吉神社
東京都中央区佃1-1-14


田蓑神社
大阪市西淀川区佃1-18-14